ギリギリセーフかなあと思い、つい先延ばしにしていたアメリカの友人向けのクリスマスカードを書く事にした。
 ところが元々英語は不得手な上、何せ年に一回、この時にしか使わないもんだから、もぉサビまくり。名刀がサビまくったのなら研げば使えるかも知れないが、なまくらがサビたんだから・・・

 辞書を引っ張り出してたら1日潰れそうなので、ヤフーの辞書を使って何とか仕上げたが・・まっ、中学生の英作文以下だな。(多分中1の3学期レベルがやっとだよ)

 アメリカの友人のうち2人は父が氷川丸で行った留学時、ホームステイ先としてお世話になったドイツ系移民の農家のご夫妻のお嬢さんとお坊ちゃん。私もご夫妻のお宅を訪問し2週間くらいステイさせていただいたことがあるのだが、それきり再会が叶わずお亡くなりになった。私の名前は英語ではすごく発音しづらいらしくて、一生懸命原音に忠実にと呼びかけてくれた彼女の少ししわがれた声が今も耳に残っているよ。

 お坊ちゃまもお嬢様も農業は継がず、ウィスコンシンの農場は農作物は作ってるが、かつての牛舎は空っぽだったし、晩年にはご夫妻は農場を売り払ってデュプレックスに移り住まわれた。墓地に連れて行ってもらって「先祖が入っている。やがて私たちも入るのよ」と静かに言われたのが印象に残ってる。

 お坊ちゃまは日本と取引のある会社の重役になり、何回か来られたので、私も最後の来日の時にお会いしている。帝国ホテルのラウンジだったなぁ。父もあの頃は耳が遠くなりかけてたけど、まだ聞こえたので会話が成立したのだが・・・

 お嬢様は鉄道技師のがっしりしたご主人と3人の娘さんと幸せそうな暮らしだった。日本で言うところのふつうのサラリーマンの家の立派さに、我彼の暮らしの差をひしひしと感じてカルチャーショックだったなぁ。湖に面した家は日本で言うと、お金持ちの別荘みたいだったもん。料理の種類が少なく簡単という事もあるが、ドイツ系の血を引くだけあって、すごくきれいに掃除しており、文字通りインテリア雑誌の世界だったっけ。

 あと一人は在日米軍の方。今の横須賀の中央図書館は私が物心つく前には実は米軍下士官のかまぼこ兵舎が建ってました。戦後日本の統治はサンフランシスコ講和条約で離れたと言っても、旧敵を監視するベースはギュウギュウだったからそうなったのでしょう。

 アメリカ帰りの父が英語力を落としたくないとお付き合いを始めたのだとか。元敵国の民家とごく近くで心細かったでしょうね。でも、母が言っていたけれど、つましいけれど、本当にきちんとした暮らしをしていたし、子ども達の躾もスジが通っていたとの事。言葉が通じずとも楽しい交流があったそうですわ。

 初代の方とはその後連絡が途絶えてしまったけれど、次代の方のご主人と今もカードのやり取りが続いてる訳でして・・・アメリカ行った時、ミシガン州の彼のご家族とも会って来ましたわ。こちらは典型的なアメリカ人、伺ったとき、既にご夫婦は離婚されていて、わが国も同じく、どうしても一人暮らしの男性は寂しく、人恋しさを感じさせるカードを毎年いただく訳です。

 ってな事で、今年もカードを書いたぞ。ついでに喪中はがきをくれた人たちに郵便局の頑張りで売り出してるちょいと割高だが図柄の可愛いポストカードにおそろいの切手を貼って出す。

 それから、笹漬け到着。これを鮮度が落ちないうちに配らなきゃいけないんだけど、明日の朝、PTAのイベントのためにかなり早く家を出なくちゃいけない。しまった、到着日をずらして日曜にしておくべきだったと若干後悔してます。



 明日実家にも寄るので、今年は父のためチビ樽も買って見た。