62年経った。戦争を知る世代は既に70代以上が中心。最も苛烈な戦場を生きた世代も若くても70代後半。中心層は80歳以上。

 昨今、きな臭い話が色々とあるし、平和ボケとの声も聞くが、戦場に行くのは誰か。家族を戦場に送って泣くのは誰か。行かずに後方で指揮をしている、あるいは戦争特需でほくほくするのは誰かと考えると、そして、今も世界のあちこちで起こっている紛争や内戦を見ると、戦争というのは、庶民にとっては何も良いことはないのだと思う。(不満のはけ口として戦争を!と煽られてしまうのが1番危ないし、結局、空しい。格差がうたわれるようになり、実際にそれが目に見えてきている現在、そっちの方向に走って行く材料になっては困る)
 私などは親世代から、戦時中の不便や悲しさを聞いているのだが、子ども達の世代になると、親世代が語らなかったり(そもそも若い祖父母だと、実感がないだろうし)、聞きたがらなかったり・・・。

 年に一度だけじゃんと言われることもあるが、やはり広島、長崎から続く、反戦や平和への祈りをこめた式典はず〜っと堅持されないといけないと思う。

 私の実家は父の兄が戦病没した以外、直近の親族では戦死者はいない。だが、母は笑っているB29の操縦士が見える程の距離からパンパンパンと機銃掃射を受けて校舎の壁にへばりついて生きた心地がしなかったという(多分、本気で殺す気はなくて、若い女の子をからかったのだろうけれど。戦場で「からかう」だけの余力があったということだろう)。

 また、日の丸をつけた蚊のように見える飛行機がハエかアブほどの大きさの差があるアメリカの飛行機に体当たりして落ちる度に、皆手を取り合って泣いたとも言う。

 父は多くを語らない。ただ父の初めての外国(当時は占領していたから、外国の意識はなかったのかも知れないが)旅行は兄の遺骨を拾いに行った北京だという。多磨霊園に葬られた伯父には想い人があったらしく、長い間、彼の命日には必ず誰か見知らぬ人が花を手向けていたという話も聞いたが、この伯父が存命だとしても、もはや100歳近く。彼女もこの世の人ではないかも知れない。

 義父は広島の連帯を離れ庄原で被爆の報を聞き、処理に赴いた時に実に悲惨な光景を見たという。最近やっと少しだけ当時の事を話すのを聞いたが、長い年月語るのを避けたい程の出来事だったようだ。

 今のうちに、今のうちに話しておいてくださいよ。見たもの、聞いたこと。戦争を知らない世代が、再びおろかな道を走らないように。

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