余震への不安と、原子力発電所が発する放射能に対する不安、そして、生活用品の品薄・・・などなど、被災地から離れた南関東の我が家界わいでも、不安が広がっています。

今日は洗濯物を外に干しているご家庭がない。私は暢気に外干ししていたのですが、釣られて中に入れました。

現状のレベルでは、恐らく過剰な心配なのではないかと思うのですが・・・・

中学校時代のかなり個性的な国語教師の授業を思い出しました。
日教組が大変に盛んに活動していた時代で、いわゆる左寄りの先生だったのですが、教育課程なんのその、彼には2年間習ったのですが、書道の授業というのがあった記憶がありません。(1時間くらいか?) 文法もほぼ壊滅。その代わりにプロレタリア文学をガリ版で刷ったものを使っての授業がしばしばありました(なので、同僚の国語教師とはものすごく険悪だったみたいで、PTA活動の時に教師同士の異様な軋轢を見たと母が驚いていました)。

その中に「空気のなくなる日」という短編があったのを思い出します。

ある時、空気が無くなるという噂が蔓延します。自転車チューブを買っておけば助かるんだという事で、チューブは街から消えていきます。(戦前の作品ですから、空気をためておけるものがそれくらいしかなかった時代です)お金のある庄屋の息子はまんまとチューブを手にするけれど、貧乏な小作人の息子である主人公は、ああもう死ぬしかないんだと思って絶望的な気分になっています。

ある時刻の時報のドンが鳴ると同時に空気が無くなる筈だったのですが・・・・

というストーリー運びだったと記憶しています。

勿論、今回の事態とは全く違う、本当に本当のデマに踊らされた村人達、そして貧富の差によりそこから逃れられる手段を得られるかどうかという差がある事に対する疑問など、プロレタリア文学らしいテーマでした。

今回は情報が錯綜し、必ずしも楽観出来ない状況なのですが、必要以上に大きく騒ぎ立てる説も、特にネットを中心に流布しているようです。

ガソリン、日用品、食品などの品切れは明らかに必要以上の購買から起こっているものと思われます(石油関係の仕事をしている親戚曰く、流通路が遮断されている事による不足はあるにせよ、量的には十分なはずで、ここまで不足になるのは不要不急の買い漁りの結果だろうとの事)。

空気の無くなる日みたいな流言飛語に基づく騒動は、石油ショックの時の買占め、買いだめ(あの時は、企業もそれで儲けようという阿漕な事をしたのですが)だけでたくさんです。狼狽買いが、近隣の買い物の便の悪い方たちを苦しめ、さらに被災地へ渡る物資を減らしてしまう可能性があると聞いています。

被災地の方たちの事を思ったら、手元にある品物で足りているのに、更に買い漁るって・・・・恥ずかしくありませんか?

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