携帯から取込 252


 今日は月に一度の手ぬい教室。

 みなとみらいへ行って参りました。

 大阪の阿倍野に建築中のビルに日本一の高層ビルの座を譲るのも時間の問題とはなりましたが、やっぱり目立つランドマークタワーの中にお教室があります。

 手ぬいを始めたのは2年前の夏。

 以前から高橋先生の手ぬいの本に載っている洋服のデザインには心ひかれるものがありましたが、その頃の私の体型では「服に入らないかも?」と思ったし、男の子二人の子育てに追われて、じっくり腰を落ち着けてという気分にはなれず、ご縁がなかったのですが、2年前に見つけたこの本を手に取って「これなら、着られそう」「作れそう」と思ったのがきっかけでした。


 2年前の夏は、お葬式の多い夏でした。

 亡くなった方の事を考えながら、夜なべ状態で、手を動かしていると、とても心が落ち着くのに気付きました。

 それまで、子どもの頃によく聞こえて来た「かあさんの歌」(かあさんが夜なべをして手袋編んでくれたという、哀愁を帯びたメロディの曲)のイメージから、夜なべの手仕事に対しては、暗い、悲しい、時として、母性愛の強要的なマイナスイメージばかり持っていました(子ども心にも、あれは母親の滅私奉公を懐かしむ、女性にそういう姿を望む男の理想を唄ってるんだよ、と思ったかわいくないやつでした(^^ゞ)。

 てっきり母さんは貧しいので、手袋を買ってやる代わりに編む。母さんは息子の事を思って、本当は寝たいのに寝られないで、家事で疲れ切った後に手袋を編む・・・って思っていたんですけど・・・

 実際は、編み物や手ぬいなどの手仕事って、心が落ち着くんですね。そして手を動かしているうちに、形をなしていなかった糸や布が、何かになって行く楽しみもあるからこそ、夜なべが出来たんだ、と気付いたのです。

 そりゃ、中には「いやいや仕方なくやった」って人もない事はないと思いますけど(洋服は買った方が安いというのは、高度経済成長期も終わるという頃位からだったかと思うのです。私が子どもの頃は、既製品を買うのはお金持ちって感じがありましたから、安くあげるために不承不承でも縫ったり編んだりしなくてはいけなかったというのは事実だったようです。逆に言うと、女性は好き嫌いを言えたもんじゃなく、縫い物、編み物が出来るというのが当然だった時代でもありました)、が〜っと盛り上がる楽しさはなくとも、静かなゆったりした楽しみが手仕事にはあり、ハマったり、ハマるに至らずとも、ちょっとしたお楽しみだったのではないかと自分が手を動かしてみて思いました。


 今の時代は、逆に、手仕事が贅沢になっちゃいましたね〜。買った方ががぜん安いのですから、わざわざお金と時間をかけての手仕事は心身の余裕がないと出来辛いようです。

 それを思ったら、手ぬいの時間を持てる自分って、かなり幸せもんだなぁ〜。


 今日は型紙を布に当てて裁断、前立てに接着芯を貼るというところまででしたが、洋裁関係、1番面倒なのは型紙起こしと印つけだと思うので、ここまで出来たら、次回はすいすいかも?



 二男が夕食不要との事だったので、帰りに「はじまりは国芳」という展示をしている横浜美術館でも寄れば良かったのですが、行きしなに予約をしていた年賀状を引き取りに郵便局に寄ったら、早期予約御礼のミニティッシュボックスに加え、500gの食塩をくれて、これがズシリと重くて、疲れちゃいました。

 ちゃっちい小皿とかプラスティックもんだったら、要りませんってお断りするところでしたが、ティッシュも塩も絶対に使うので、御断り出来ず、持ち歩いた欲張りでした(笑)。

人気blblogランキングへ