ゴールデンウィーク、みなさま、いかがお過ごしでしょうか?
今日で前半が終わりですが・・・私は実にのらのらとグデグデと実り少ない過ごし方をしておりました。
家族が揃えば揃ったで、それぞれが寝坊したり、帰宅が遅かったりで1日に各々3度より多くの食事の支度、片づけがあって、追われる感じ。それが私にとっての休日なんですが、不徳の致すところでしょうかねぇ(またはしつけの失敗と言う(^_^;))。
さ〜て、昨日は「巴里の侍」を読み、昨日から今日は「64」を読みました。
世界史で習っている筈なんですが、パリ・コミューンって今一つどういうものか頭に入っておりませんでした。巴里の侍を読んで(実在の人物に仮託したフィクションですが)ああ、そういう事かと腑に落ちました。今更のお勉強が出来ました。
64は警察内部のお話。舞台がどうにも山梨県に思われてなりません。64と称されるわずかな期間の昭和64年に起きた幼女誘拐殺人事件の被害者宅の名字が山梨に多い雨宮さんなもので・・・。
しかし、人口は山梨より百万人多く、長野県に近い(長野は大きな県だけあって二百万人を越えてますが)感じ。
色々な思惑が絡み、分厚い本なのに、ハイスピードで読めました。
読後感をうんたらの前に明日の外出の調べ物をと思っていたら、牧伸二さんがお亡くなりになったというニュースをネット上で発見しました。どうも飛び降りられたらしい。
あ〜、いやんなっちゃった、あ〜、驚いたという一世を風靡した歌詞そのままに、いやんなっちゃったのでしょうか。
東横線が地下に潜った事で話題になった渋谷駅。その渋谷のヒカリエがある場所には文化会館がありました。1階がパンテオンというその名も豪華なロードショー劇場。地下に東光ストアという東急系列のスーパーマーケットがありました。
地下に降りる時に、横っちょに「東横寄席」と書いてあったかなぁ。牧伸二さんが毎週ウクレレ漫談をやっている事を示す看板が立っていたのを思い出します。記憶がうろ覚えですし、実際に行っていないで横目で見ていただけだったので不確かですが、文化会館の半地下みたいな場所に演芸場があったのではないでしょうか?
私の子どもの頃はよくテレビで牧さんが出て来たものです。ぼよよ〜んとした雰囲気で結構鋭い事を唄ってられたのだそうですが、政治云々は分からぬ年代だったので、面白いオジサンという感じでした。
渋谷を離れて10年近く、再訪した渋谷ではもう寄席はなくなっていました。
昭和の高度経済成長期を彩った方たちが多数鬼籍に入られましたが、牧さんもあちらに行かれてしまったのですね。恐らくは鬱だったのではないかと思われる最後なのが残念ですが、ご冥福をお祈りします。
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今日で前半が終わりですが・・・私は実にのらのらとグデグデと実り少ない過ごし方をしておりました。
家族が揃えば揃ったで、それぞれが寝坊したり、帰宅が遅かったりで1日に各々3度より多くの食事の支度、片づけがあって、追われる感じ。それが私にとっての休日なんですが、不徳の致すところでしょうかねぇ(またはしつけの失敗と言う(^_^;))。
さ〜て、昨日は「巴里の侍」を読み、昨日から今日は「64」を読みました。
世界史で習っている筈なんですが、パリ・コミューンって今一つどういうものか頭に入っておりませんでした。巴里の侍を読んで(実在の人物に仮託したフィクションですが)ああ、そういう事かと腑に落ちました。今更のお勉強が出来ました。
64は警察内部のお話。舞台がどうにも山梨県に思われてなりません。64と称されるわずかな期間の昭和64年に起きた幼女誘拐殺人事件の被害者宅の名字が山梨に多い雨宮さんなもので・・・。
しかし、人口は山梨より百万人多く、長野県に近い(長野は大きな県だけあって二百万人を越えてますが)感じ。
色々な思惑が絡み、分厚い本なのに、ハイスピードで読めました。
読後感をうんたらの前に明日の外出の調べ物をと思っていたら、牧伸二さんがお亡くなりになったというニュースをネット上で発見しました。どうも飛び降りられたらしい。
あ〜、いやんなっちゃった、あ〜、驚いたという一世を風靡した歌詞そのままに、いやんなっちゃったのでしょうか。
東横線が地下に潜った事で話題になった渋谷駅。その渋谷のヒカリエがある場所には文化会館がありました。1階がパンテオンというその名も豪華なロードショー劇場。地下に東光ストアという東急系列のスーパーマーケットがありました。
地下に降りる時に、横っちょに「東横寄席」と書いてあったかなぁ。牧伸二さんが毎週ウクレレ漫談をやっている事を示す看板が立っていたのを思い出します。記憶がうろ覚えですし、実際に行っていないで横目で見ていただけだったので不確かですが、文化会館の半地下みたいな場所に演芸場があったのではないでしょうか?
私の子どもの頃はよくテレビで牧さんが出て来たものです。ぼよよ〜んとした雰囲気で結構鋭い事を唄ってられたのだそうですが、政治云々は分からぬ年代だったので、面白いオジサンという感じでした。
渋谷を離れて10年近く、再訪した渋谷ではもう寄席はなくなっていました。
昭和の高度経済成長期を彩った方たちが多数鬼籍に入られましたが、牧さんもあちらに行かれてしまったのですね。恐らくは鬱だったのではないかと思われる最後なのが残念ですが、ご冥福をお祈りします。