もうあと三十分早く起きればジタバタしないのに、と反省しながら、裏ワザを使って、10時ジャストからのシネマ・ベディの「最後のマイ・ウェイ」のスタートにギリギリセーフでした。

  クロード・フランソワと言う人、名前は小耳に挟んだような気もしますが、作中に現れるジョニー・アリディや、クロードの恋人だったフランス・ギャルのようにはっきりした記憶ではないです。また、トップアイドルとなり、さまざまな事業をはじめた彼が、雑誌の表紙の自分の写真を見て、「これじゃ、まるでポルナレフじゃないか!」とキレたポルナレフ氏は日本に上陸し、「シェリーにくちづけ」がバカ売れでした。


 赤塚マンガのおそまつくんの重要キャラクター、イヤミがシェーしつつ「おフランスざます」などと言っていた位、フランスものが好き、今だってフランスブランド大好きな人の多い日本人が、どうして彼のことは知らなかったんでしょうね〜。まずはアメリカから、という経路? いやいや、ミッシェル・ポルナレフは日本で売れてからアメリカデビューしましたよ、確か・・・。

 などなど、自分も少しは知ってる時代のことと重ね合わせてみました。ジャニス・イアンがうたった「17才のころ」は、なんとクロードが先に歌っていたんですね。それに、Oh what a nignt、remember 1963という歌詞(結構好きな曲だったのに、歌ったのが、誰だったのか・・・う〜ん、ニール・セダカっぽい声だったように思うのですが、本当は誰だったのか、タイトルすら思い出せません^^;)も、彼が先に歌っているのにはビックリ! しかも、1962年ということで、クロードの歌では1年前倒しです。



 人気アーティストはドラッグや酒がつきものな中(大御所、ポール・マッカートニー様だって、若気の至りで来日時に麻薬所持で捕まって、ファンの婦人警官が房に花束差し入れたというのがニュースになった、今ならば大バッシング必至の公私混同がおおらかに許されていた時代でした)、クロードはとてもストイックで、酒もタバコもやらないで体を鍛えていましたが・・・その分、というべきか、女性関係は派手でした。

 加えて、富裕な生活から、スエズ動乱で一転して、貧しい生活になったのがきっかけで、最愛の母はギャンブル依存症に・・・。お堅い父は、音楽で成功を求める息子を認めないまま死んでしまったという、心の傷があったせいか、異様に嫉妬深く、キレっぽいし・・・なクロードでありました。そして、単なるアイドルにとどまらず、多方面に仕事の手を広げ・・・自己チューで計算が付かないから火の車だったようですが、イギリスのロイヤル・アルバート・ホールでもうたい、いよいよ世界進出という間際に事故死してしまうのです。

 一種の過労死だったのだろうなぁと思います。もしも、もっとゆったりと過ごせていたら、用心深くして、ささいな不注意による事故に遭わなくて済んだのではないでしょうか。

 タイトルのマイ・ウェイは、もともとは彼の歌だったマイ・ウェイをシナトラが取り上げたエピソードを表わしていますが、傲慢、わがままな彼が、シナトラに対しては心からの尊敬の念から、非常に謙虚な態度だったのが(本人を間近にしながら、あの曲は僕が作りましたとすら言えない)印象的でした。

 もしもが続きますが、彼がそのまま世界進出に成功し、大御所となっていたら・・・愛称がクロクロでしたから、ひょっとしたら、ユニクロのCMに出ちゃって、ユニクロ、ジュテーム、クロはユニクロ大好きなんて、やっていたかも知れませんね〜。
 
 帰宅してから、今回の映画公開を記念してリリースされたというベストヒットの写真を見たら、主役の俳優さん、よく似せました。声は本人のものを使ったそうですが、当初、ふけた22歳だよと思いましたが、だんだんに本物らしくなって行きました。

 彼の時代の39歳なんてのは、もういい加減オジサンで、肖像画の目じりのしわを気にする彼。多忙で荒淫な生活に疲れがにじみ出ている肌。それ、特殊メイクなんですね。ご本人は長男より5歳年上なだけの俳優さんなのでした。

 しかし、髪型と、ふっと見せる表情が・・・あの、ラブリン様を思い出させて、最初のうち、クロクロ=黒崎さんに見えちゃう瞬間がありました(汗)。

 これだけ人気があったフランス人歌手が、日本でこれだけ知られていなかったことに不思議を感じましたが、テンポが速く、リズミカルで、とても面白く見られました。

 駆け出しのクロードが、レコードを出して欲しいと掛け合う会社がフィリップスレコード(ああ、なつかし〜名称!)。立派な社屋であります。あの頃は、音楽はレコードで聴くものでした。だから、売り上げも桁が違っていたでしょう。敏腕マネージャーが付いて、人気が落ちそうになるとあざといこともして・・・芸能界やなぁ〜です。

 レコードがコンパクトディスクになり、さらにネット経由で配信されるようになった現代の厳しい状況下。レコード会社勤務の長男の仕事はどんなんだろう?とちょっと思いました。

 滑り込みセーフ状態でも駆けつけてよかったと思う、いろいろと楽しめる映画でした。


 さすがに2時間半の大作で、いろいろ考えさせられる作品を見た後にもう1本は無しで、映画の後はお買い物タイムです。

 欲しいのは・・・アプリコットカーネルオイル。

 顔のブツブツに杏仁がいいという広告が多いのですが、それら製品のお値段が全然安くない。ちょっと調べると、いわゆるアロマテラピーのキャリアオイルのアプリコットオイルでも、ブツブツがなくなる事例があるみたいでした。ならば、そっちの方がお安いし、何より天然モノなのが安心。

 こういうものって、我が家の最寄駅界隈では入手困難なので、途中下車でデパートで買い求めました。



 なんだ、楽天でも買えるじゃん! しかも、お店によっては他のものと組ませて、比較的低価格でも送料無料だわ。今度からそれにしよっと!

 それから、100均、セリアでは手芸用のばね口ポーチ2本入と、持ち手一組、それに、神社仏閣参拝用にもけもけタイプのルームソックス(お堂に上がると底冷えするから)を2足買いました。

 さらに3年連記。デパートの文具売り場のお兄さんに「博文館の日記は?」と聞いたら、一瞬、ぽか〜んとした顔をしたのに驚きました。若い子は、博文館って知らないのね。こちらは、幸いにも書店に並んでいてゲット!



 2011年より前は10年連記を使っていました。ですが、分厚い、重たい。それに、次の10年生きているのか分からないという、人が聞いたら笑う理由で(と言っても、自分の母親が亡くなった年齢に近づいていくと、そんな心境になるんですよ)、3年連記にしたのです。今は水色表紙。今度は黄緑かピンクか迷ったけれど、売り場で手に取ってみてピンクにしました。 オリンピックの事も含め、ばら色の日々を送るのさ!

 それにしても・・・100均のダイアリー類の充実ぶりには本当に驚きます。さすがに連記なんてものはないのですが、単年用としては、デパートの文具売り場や書店で扱っている手帳、ダイアリーに引けをとりません。余分なコラムなどがないから、そっちの方がいいという意見もあるかも知れませんね。

 しかも、今年もまた買うであろう京都手帖と同じサイズで、京都手帖の外側カバーと同じように、モノがはさめるカバーもついている! もぉ、びっくりの芸の細かさです。もちろん、京都手帖のようにさまざまなコラムや地図などはありませんが・・・。



 近所の友人がファンケル花の手帳をくれたので、もしも、追加でDHCのをもらえなかったら(ここ2年、DHCので、使い慣れているので)、花の手帳を使うつもりですが、もし、何も持っていないとして、100円で、一般的な手帳とそん色ないものがあるとしたら・・・バッグに入れて持ち歩く用の手帳を買うなら、そっちに走ってしまいそうです。 こりゃ、本来の手帳、日記を製造、販売している業者さんたちは知恵を絞らないと大変ですね。

 最後に、靴下屋さんで、日本製、3足で1,050円なり〜の靴下、あれこれ楽しく悩んで2足は冬仕様、1足は足首にリボンがつく、オバサン履くなよ!と言われそうなかわゆいのにしました。(*^_^*)

 かくして、午前映画、午後買い物と楽しい1日になりました♪。


・・・こういうおひとり様の日って・・・・バッグに紅茶を入れた水筒、そして、カロリーメイト風のお安い栄養調整食品を忍ばせて・・・映画館から少し歩いた川っぺりで、お日様浴びながら、そそくさ食べておっしまいっ! (^^ゞ


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