神隠しと言っても、昨今、悪い意味でニュースを賑わしている少年少女が巻き込まれる犯罪の話ではございません。

 我が家内の室内神隠しです。

 ここ最近、忘れっぽいとか、随所に書いておりますが、今、一番困っているのは、8月半ば、八ヶ岳から戻って以来、キッチンタオル一式がすっぽりとどこかへ消えた!です。

 八ヶ岳には自宅で使っているクロス類(バスタオル、フェイスタオル、キッチンタオル、布巾、台布巾等)を一式、一組だけ持って行って、最後の日に使って、自宅に持ち帰って洗濯というパターンを取ると、後が楽なんですが、前回、確かに持ちかえって洗ったところまでは記憶があるのに・・・

 その後が、ないっ!ないっ!ないっ!
  心当たりを探しても、全然見つかりません。帰宅して大量の洗濯物と一緒に洗ったので、衣類を畳んだ中に挟まって、そのまんま・・の可能性も無いわけではないのですが、心当たりの衣類をちょっと引っ張り出しても、それらしきものは無いし、更に引っ張り出すと、収拾がつかなくなるので、もうやめました。

 そのうちどこかから出て来るか、持ち帰ったと思ったのに、八ヶ岳の家のどっかで丸まってカビだらけになってるか・・・

 それはともかくとして、神隠しで姿をくらますモノって、NO.2以下のモノのようです。

 いうなれば、トップクラスのお気に入りでも、トップクラスの必需品でもない。それがないと、即生活に不便というクラスのものや、ものすごいお気に入りの場合、仮に落とした、失くした、壊したという時には、直ぐに分かります。直ぐにショックを受けます。

 が、NO.2以下というのは、速攻では困らない。速攻で気付かない。生活の中に溶け込んでいて、無いと不便なんだが、では、代わりが無いかと言えば、恐らくは代替品を買って来たら全然問題ない。

 ただ、私の性格が「もったいながり」「捨てらない女→使いきらないと捨てられない!」であるがために、モノの行方不明は気持ち悪いし、だからこそ、神隠しだ!という心理状態になるのです。

 これって、やっぱり加齢による現象なんだろうなぁとは思います。

 若い頃は無い!という事があまりなかったように記憶しています。で、無い!となれば、買い替えが出来るだけの独身財力があったし、そもそも自立していなかったから、家事や住居にかかわる物にこだわりも無かった。

 家事・育児とオートマティックにこなす癖が付いていて、それで何となく手順通りに大過なくモノと付き合えていた中年前期までと比べ、オートマティックの先に記憶の欠落というか、ぽっかり穴が開いている感じのする昨今。

 惰性では通らない年代になっているのだろなぁと思います。


 ちゃんと確認すべし!

 確認、確認、確認・・・・φ(..)メモメモ

 とこう書いていても、惰性の本性が強いでしょうから、ひたすら確認の癖をつけるべく、散漫な注意力を集中させないとですね。

 面倒くさいわね〜。 やっぱり、なるべくぱっぱらちゃ〜で生きるためには、モノの数を減らすのが1番だと思います。私にはハードル高いわ。(^^;)



  NO.2以下のモノたちが「俺たちを軽んじるとこうなるんだぜ〜」と仇をしたくて、なくなる・・・って付喪神が付いているせいさ!と思いたくもなる昨今の私です。(^^ゞ

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※後日談

八ヶ岳に行って、ありゃりゃ!でした。持ち帰って確かに洗ったと思っていたキッチン用タオルほか一式、置き忘れておりました。

こりゃ、神隠しどころではないぞ、まずい、まずい。(;・∀・)