昨晩の経済情報番組、「ガイアの夜明け」で着物リサイクルショップの紹介をしているのを見て、空気が乾燥しているうちに虫干しをするのを思いつきました。

 正直なところ、何年ぶり?

 前回の虫干しで、既に風通し不足故に、しつけも解かぬ色留め袖にシミが出ているのを見ましたので、完全に手遅れではありますが、久々に状態チェックしてみたくなりました。

  そろそろ終活、考えてしまうのは、最近の体調いまいちもあり、母が亡くなった年齢へのカウントダウンが始まってるなという思いがあるのと、近所の友人がご両親が施設入所された実家の片付けに奮闘しているのを見、さらに二回ばかり断捨離ものをいただきに上がり、あふれる物の末路を改めて見るから、というのがあります。
 

 私自身の実家の片付けも手伝いましたが、母が亡くなった後にある程度片付けている集合住宅で、男やもめとなった父は買い物好きでは無かったので、一戸建てで趣味の多いご夫妻の物とボリュームが違うようでした。
  
 友人がかなり片付けた後にお邪魔しても、片付ける前の実家と同レベル、布物に関しては完全に上回っていました。

 私も体力あるうちに物の減量をしておかないと、私には片付けてくれる娘はいませんからね。

 という次第で干して見ましたが、情けない事に、たたみかたをすっかり忘れておりました。

  こういう時にはネットって助かりますね。検索をかけると着付け教室による動画が直ぐに見つかりました。

  それにしても、着物の衰退っぷりに一役買ってしまっている事に済まなさを感じざるを得ません。

   私たちの世代は、親が欲しがりません、勝つまでは、の犠牲になった世代で、その分、親の欲望の代替で「それが常識」の名の下に、狭い家を更に狭苦しくして、今となっては後悔の素ともなっている嫁入り支度をさせられた最後の世代かも知れません。

  婚礼たんすや、たんすの肥やしと「ガイアの夜明け」でも着物買い取り会社の社長さんに言われていた着物など、戦中に焼けたり、戦後の混乱期に手放されざるを得なかったりしたお宝を、私の母親世代は娘に持たせる事で喪失感から回復しようとしたのでしょうね。

  その親の重たい思いは、あるいは着物に対する抵抗感に繋がったのではと、個人的には思います。

  親の見栄や自己回復を背負わされた着物や婚礼家具は仰々しくて、楽しくなかったし、気軽にも接する事が出来なくて、日常生活と離れたお飾りになってしまった、という方、結構いらっしゃっるのでは?と想像します。

  もちろん、そうではなく、楽しく軽やかに家具や着物と付き合っていらっしゃっる方もたくさんおられるかとは思います。

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 しつけも解かぬ無駄遣い、色留め袖。嫁入り支度ですが、親の要請で自腹でしたわ。でも、自腹だから、処分も好きにしようと思えます。

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  もちろん、祖母や母のお墨付きで買ったものですが、秋しか着られない柄ですな。黒留めが似合わないと色留め袖にしましたが、出番ゼロ、私史上最高の無駄遣いかもです(探せば他にも有りそうですが😅)。

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  いわば祖母プロデュースの着物。手描き洋服柄。祖母の教室で唯一の男性のお弟子さんだった呉服屋さんにお願いし、成人式用に誂えて貰ったもの。出来合いではないのと、祖母の思いがあるので、これは簡単に手放せないかと思います。振袖を短くすれば結婚しても大丈夫という事でしたが、結局、着物を着る機会無しに来てしまい、今更袖を詰めるのももったいないです。

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  元は振袖。これは独身時代に袖を詰めてしまい、袖部分を使い、祖母が市松人形を作ってくれました。

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 今見ると、まぁ、ごちゃごちゃした柄ですね。ノーメイク、地味顔がベースの私には、例え洋服にリフォームしても、今更無理感が満載です。

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  この臙脂の訪問着は一番使い勝手が良かったのですが、友人の結婚式に着ていったら、な、なんと披露宴会場の仲居さんの着物がほぼ同じ色で、出席者の奥様から、仲居さんと間違えられたほろ苦い思い出付きであります。

  夕方から、天気下り坂とのことで、まだあと少しだけありますが、また次回、と言って、気づいたら何年も経過って事になるんだろあなぁ💦。

  私を着物から遠ざけた親の重たい思いは、鍋釜からお寺の鐘、銅像まで供出させたような戦争がもたらしたもの、戦争が原因のそういう思いは二度とあってはならないと思います。

 あと二つ、着物から遠ざかった理由は、着物を着る機会が無かった事、体型が着物向けでは無い事でしょうか。

  特に、三十代で母が亡くなり、一緒におめかしして出掛ける機会もなければ、手取り足取り、着物のアドバイスをしてもらう機会を逸したのは大きいかもと思います。

  タオルを分厚く巻いてギューギュー帯締めて、出席した会社の先輩の結婚式。アメリカ人の上司のローマ字で読み方を綴ったらしい日本語スピーチの文節の切り方がへんてこりんで、突然、てめーらが!みたいなその場にそぐわない言葉が出るのを、笑いを堪えて下向いているうちに、帯の食い込みに気持ち悪くなり、着付けの心得のある後輩に解いて貰った帯のセナカを見せまいと、ホテル・オークラの廊下を、蟹の横這いして更衣室に辿り着いたのもトラウマになってます。

 あー、私の体型、着物は合わないんだ!と思ってしまったのは、あの時の、一応プロにお願いした着付けが悪かったのかも?

  と責任転嫁でしめます。
  
  だって、本当は着物の美しさ、好きで、憧れではあるんですから。