先程、支配欲の強い人は避けたいと書きましたが、多分、そういう人って、こども時代や若い頃に、人から注意されたり、叱られたりが無かった、若しくは著しく少なかったんだろうなぁと思います。

 少なくとも、私の周囲の該当者たちは、どうも優等生だったようです。

  何事も卒無くこなし、褒められる事は多くても、叱られる方はかなり少なかった、もしかしたら、親御さんからすらもあまり叱られなかったのではと思われます。
 
 特に苛烈な受験を経ている人たちほどそういう傾向があるのではと思われます。

 私はいわゆる優等生タイプではなく、廊下に立たされたり、反省文を百回書かされたり、ヒステリックな音楽教師から叩かれたり(あれは、今思っても理不尽。今なら彼女は始末書ものだわ)、事実だから仕方ないとは言え実力の無さをこき下ろされたり、会社に入ればこってり絞られ、と、まぁ、いろいろございました。

 学校時代は先生はもちろん、クラスメイトや友だちも結構キツい事を言ってくれました。もちろん、単なる意地悪もありましたが、中には私の陥りがちな欠点をいさめてくれる言葉もありました。

 翻って、今は?

 人生後半に入り、もはや無敵の鬼婆と化した私に、日常的なミスを指摘したり文句言ったりする人はいても、根本的な部分で何かを言ってくれる人はいないのでごさいます。有り体に言えば気分はお山の大将だわ。

  お山の大将はノホホンとしてられて良いのですが、もしも、若い頃に何も言われていなかったらと思うとゾーッとします。

  大人になると、よほど不利益、不快な場合を除き、わざわざ波風立ててまで人に何かを言うのはしんどくなります。多少の事なら目をつぶった方が得という計算が働きます。

 その中で、何か伝えてくれるのは、よほどの親切か、よほど我慢ならない場合で、レアでしょうね。

  友だち付き合いでもそうです。というか、大人になると、友だちはある程度選べますから、注意しなくてはいけないような気に入らない事や要注意な点がいっぱいある人とは付き合わないですよね(ご近所付き合いやママ友、勤め先の人間関係など、選べない場合は、友だちと知り合いを分けて割り切っているのでは?)。

   私のように、母親が割と早くに亡くなると、嫌われる事を恐れずに注意してくれる人がほぼいなくなったのでして、ますますお山の大将になりがちです。

 だからこそ、叱られたり、言われた当時は嫌だな、悔しいなと思ったあれこれが、懐かしく、ありがたく思い出されます。ヒステリックな教師の反応だって、今となれば彼女があんなにヒステリックになった、女性に理不尽だった時代を思い、気の毒にも思うのです。

  本質的に底意地悪く悪意に満ちていたら、あるいはあまりに理不尽なら話は別ですが(大人になると、たまーにありますからね、そういうのも💦)、そうでないお叱りは貴重だな、と思います。

  キレたり怒ったりするのではなく、叱ったり、間違いを教えててくれる人って、一時ばつの悪い思いをしても(言う側だって勇気がいるかも)、心の成長をもたらしてくれるありがたいお方です。大事に思わなくちゃ!