仕事始め・・・と思って、返却用図書を持って地区センターまで行ったら、な、なんと開館は明日5日からだったのでした。そういえば、年末も30日に行ってみて「28日でおしまい」と併せて5日開館と読んでいたのに、頭の中で世間平均値に書き換えてしまっていました。

  それを覚えていたら、スーパーのシャトルバスに乗って買い物行ったのに・・・と年初からそこそこめぐりあわせの悪い日でしたが、仕方なく、地区センター前を通って郵便局に行こうとして、ハタと気付きました。

 まだ初詣していない。

 牛に引かれて善光寺参りならぬ、図書に引かれて初詣であります。

 何気ない地域の鎮守様ですが、除夜の鐘が聞こえるころから参拝の方たちが並び大賑わいとなり、また普段でも誰彼かがお詣りし、近隣のシニアの方たちがしっかり守っておられる神社で、こじんまりとしながら、おごそかさも保っていて、なかなか貴重なスポットであります。
  以前は、めぐりあわせの悪い事があると、いらっとすることも多々ありましたが、最近は、それも天の声、というと大げさですが、そういう日もあるさと、割と暢気に構えられるようになりました。

  あとひとつ、何となくのカンが働く時には、そちらに従うということもあります。もちろん、カンが大外れということもありますが、それはそれで、神ならぬ身にはおおありかなと思うことにしています。

 イラッとしないで済むために、ひとつだけ気を付けることは、時間の余裕を持つこと。若い頃やらかしていたような、パンをくわえて家を出るに近いような状態で、足らない時間の中で駅まで駆けて行かないと遅刻するというような状況で、ひとつ歯車が狂いだすと、イライラが酷くなります。

 例えば、その状態で、自分の前をベビーカーを押している人や、歩行がゆっくりのお年寄りがいらしたりすると、全然やさしい気持ちになれず、遅いんだよ!という気持ちになってしまったりします。そうなると、ますます悪循環に陥るようです。

  最近は時間の余裕がなくて急ぐと、単なるイライラ以上の実害があるという事態に見舞われるようになりまして、転倒などした日には、もぉ大変です(別に焦っていた訳じゃないのに、アイスバーンで転倒した暮れのしりもち後遺症、未だにケツがぁ・・・と内心うめくことがあります💦)。

 今の自分にとっては、とにかく、時間ギリギリをしないというのが最大の安全策であり、次には「絶対にこうする」とギチギチな考えで、自分を縛らないようにと思っています。

 半世紀以上生きて、自分と周囲を見ていて、強引に意図することって(特に誰かに我慢を強いたり、我を通した時には)、ロングスパンで見ると、かえってうまく行かない、当初の意図と真逆の方向に行ってしまう事もままある、いや、むしろうまくいかない方が多いと経験しました。

 なもので、今は頑張らないで済むことは極力自然体で、見方によっては脱力で行こうと思っています。

 例えば、旅先で行きたいと思っていたところに時間が無くて行けなくなってしまったとしたら、もう一度来いと土地が誘ってくれているのだと思い、買いたいと思っていたものが自分の一人前で売りきれてしまったとしたら、それは神様が節約しろ!とおっしゃったのだと思い、友だちの誘いに一人だけ乗れないような企画があったなら、ひとりでのんびり過ごせという体の声を聞くべしと思い・・・

 というような具合に考えると、ギリギリと頑張る!より随分気持ちが楽になっているなぁと思います。

 
  もちろん、人生、いつも脱力ではいられないし、多少強引でもがんばらなくてはいけない場面もありますが、気合を入れなくて済む時はだらりんちょでいいや、というのが最近のスタンスです。


 ・・・・要するに頑張り続ける体力気力が無くなっているということで、これが加齢と言う事なんでしょうね。でも、年を重ねて、楽に生きるノウハウを身につけるのも、ひとつの知恵で悪くはないなと私は思います。

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