昨日、書店の店頭で見た本2冊。

  ミニマリストの方が出された本で、ひとつは五十路ブロガーの筆子さんという方の本。 もう一つは(もう名前が覚えきれないのよね〜(^^ゞ)バルーンアートをされている方の本。はい、検索をかけて、何とか引っ張り出しました。





  ミニマリストと言えば、小塚選手の(選手と呼んでいいのも明日までですね。4月1日からは引退後の社会人となられる訳ですから)親友、水泳の立石選手もそうらしくて、昨年のテレビ番組では、小塚君を招いたお部屋のあまりのすっきり度合いに、口の悪いどなたかが「病棟」とぽそっと言ったほどのものの少なさでした。

  立石君、ひえ〜〜〜(対する小塚君の散らかしぶりが面白がられていましたが)!ですが、独身独居だから、自分の思い通りにはなりやすいだろなと思いましたが、こちらの著者たちは家族持ち、でいらっしゃるようで・・・走り読みでは、詳細が分からずですが、ぱっと見独居に見えたエリサさんの方も「娘から貰った」という一文があったので、純然たる独り身ではなさそうでした。

  とにかくモノが少ない、エリサさんはご自身のワードローブまでご披露くださっていますが、先日読んだ「服を買ったら、捨てなさい」にも通じるのですが、自分軸を持っておられ、流行を適宜取りいれつつも、ファッション情報に振り回されていない。ですから、見るからにブランドという感じのバッグの代わりにカジュアルに見えるものを楽しんで使っておられるご様子。
 
  両者とも、モノの少ないことによるストレスの少なさをはじめとするメリットを述べておられました。そして、私と同年代と言ってよい(偶然にも、「服を買ったら」の著者の曳地さんと同じ年のお生まれです)筆子さんの本には、今までのメソッド(断捨離や、こんまりさんの片づけ祭など)でうまく行かなかったのはなぜかなどの記述もありまして、結構激しく惹かれました。

 惹かれたのに、まんま買わずに帰って来たのは(ごめんなさい)、補足になるもの、サブがあると、メインも霞むというような意味の一文をエリサさんの本で見つけたからであり、2冊のうちどっちか1冊選ぶのに躊躇したこと、そして、何たって、自分の本棚、もう満杯、こりゃ図書に入るの待とうという、出版業界並びに著者には大変申し訳ない発想に至ったからです。

  ミニマリスト本の最大の矛盾は「増やすな」と言いつつ「本買ってね」となるところで、そもそもミニマリズムの最大の敵の一つは私の場合、書籍なもんで、悪しからずであります。

  この手の本を目にすると、毎度、毎度、自宅との余りのギャップにくらくらするんですが、でも、仕方ありませんねぇ(と、この時点で既にミニマリストの方たちから見たら唾棄すべき存在となっているぢぶん(^^ゞ)。

  というのは、今、これ読んでいるのもあります。




   「武士の家計簿」で一躍脚光を浴びた著者が、過去の天災について調べて、それが日本のあり方にどういう影響を与えたかと述べておられますが、何てたって、近畿圏を襲った大地震の時の処置を誤り、豊臣家は滅びに至った、逆に家康は窮地を脱したというくだりが面白い。ちょうど、大河ドラマでもあたふた頼りない家康公が描かれていますから、よけい、信ぴょう性が感じられたりもします。あなた運が良かったのね!って(笑)

  と、これとミニマリズムとどう関係あるんだ?

  ミニマリストのように、何でもかんでも捨てて、処分しまくっていたら、磯田先生をはじめとする古文書解読して、色々な事を解き明かしてくださる学問は成立しなくなります。また、作家先生だって、資料を溜めこんで、それをもとに胸打つ作品、考えさせられる作品を作られる訳ですし、古文書ではなくても、価値ある骨董品から建築物まで、今要らん!で完全廃棄してしまったら、後世には残らないのです。

  冷泉家が「要らん!」と言ってご先祖様のかきつけた和歌を捨てまくってたら・・・皇室が、国会図書館が・・・・大英博物館が・・・・(以下省略)


 と考えると、捨てられない人間というのも、ある程度必要だと思うんです。

 あんた如きド庶民の、何ら芸術的センスのない・・・取って置いても仕方ないでしょうが!と言われそうですが、そんな我が家の持ち物でも、市立歴史博物館に引きとられたものがあるんですよ。

 それは、みんなが要らない!とほいほい捨ててしまうようなものばかりでした(笑)。

  例えば、竹の布団たたき、今は亡き百貨店のタグの付いた箪笥の鍵(箪笥本体は、さすがに収納スペースないという事でした)とか。

  なもんで・・・ミニマリズムもいいが、取って置く汚部屋寸前が、世の中のためになることもあるんです!!


・・・・と最早開き直りだなぁ。

  ただし、「現代」、暮らして行く上でのストレスの量は、恐らくは一般人の場合は、ミニマリストの方がすくないのだろうなと思います。

  モノがないと不安で、不安でとなる「現代人」は、心が病んでいるとも言いますし、過去の経験で、モノがない恐怖を味わっているケースもあるかと思います。

 例えば、戦中派は欲しがりません、勝つまでは!と色々なものを手放すことを余儀なくされ、今日10円で買えたものが明日はない、あるいは物凄い値上がりしてしまうような経験をされ、なおかつ空襲で焼失などの経験を経て、モノに対する過剰な「なくなっては困る!」「ある時に手に入れておくべし」などの思いを抱かれた人は多い事と思います。

 また、私自身は、生活圏には殆ど店がなく、思い立っても直ぐに必要なものを買いに行けない環境に暮らしたことが、「取って置いたら使える」「いつか使うことがあるかも」につながって、モノを捨てられない(未だに!です。買い物至便とは言い難い環境ですので)人間となっております。これ、高校時代の八ヶ岳暮らしの唯一最大の困った後遺症かも知れませんね〜。


  ・・・ということで、激しく憧れながら、あこうとこうと言い訳して、モノを温存しているのですが、別に歴史学者になるんでもないのなら、何とかしろよ!と自分にはっぱをかけておしまいにします。



減らしたいもの・・・紙、紙、紙、紙、紙、本、服(もう少しだけね)と小物

増やしたいもの・・紙幣、紙幣、紙幣・・・・(;^ω^)


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