山の家で暮らしの手帖の前身みたいな雑誌を見ます。昭和17年のものですから、もちろん私は生まれていません。
 
  普通ならばとっくになくなっているはずですが、祖母、母が断捨離しないおかげで私のものになりました。

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 昭和17年には既に日本は戦争の渦中ですが、紙面を見ると、まだ最悪の困窮状態に陥ってはいなかった事が見て取れます。

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 本のパーツの名前を忘れてしまいましたが、表紙のすぐ裏には赤い紙を使い、ざら紙ながらなかなかおしゃれな装丁です。

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 そして、執筆陣がなかなか豪華。村岡花子さんの名前もあります。

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  服飾関係で一時代を築いた田中千代さんは、戦時中の服装のショボさを歎く余裕がまだありました。

  ファッションページでは欧米の白人モデルの服装にいちゃもんをつけながら、実は羨望や憧れの眼差しがあるのが感じられます。

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 イラストの日本人向けファッションもまだおしゃれさがあり、布地の節約を訴える今に通じるマンストールみたいな提案もあります。

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 家も質素とは言え、敗戦後のバラックを思えばはるかにゆとりがあるものが提案されていたし、外注せずに自力でやりましょう!の造園にも心豊かな暮らしを求める心意気が感じられます。

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  途中からざら紙がさらに質の悪い紙に切り替わったりしていますが、それでも、そこからわずかな期間で食うに困るは、将来ある若者を片道分だけの燃料で死地に向かわせたり、鍋釜まで取り上げるなど、悲惨な末期的状態を迎えるとは、誰も思っていなかったでしょう。

  戦争は始まると止まらない、それを語ってくれる雑誌、よくぞ断捨離されないでいてくれました。
 
  断捨離しないと、ごくごくたまにはこんな事もあります。本当にごくごくたまには、ですが。

  そして、この程度の雑誌も出すのが難しい世の中にはならないようにと切に願います。