アメリカは元泡沫候補(失礼!)のトランプ氏が予想を裏切り大統領戦に勝利。

 クリントン氏が女性でなかったら、とか、総得票数ではなく、総取り方式という特殊な選挙手法でなかったら、など、ifがいっぱいです。

 差別や憎悪をぶち上げていた 派手なパフォーマンスで衆目くぎ付けのトランプ氏の勝利を、その強烈キャラクターではトランプ氏に負けていない映画監督のマイケル・ムーア氏が7月に予言していた通りになってしまいました。
 選挙活動中は目立つ!話題を呼ぶ!で過激発言をしていても、実際に政務についた暁には優秀なブレーンと共にまともな政治を行ってくれる・・・と信じたいです。

 
  憎悪や偏見を煽っていたトランプ氏の当選で、閉塞感を抱えるアメリカ人の中にはそういうものに共感する人も少なからずいるらしい、とわかりましたが、人間の憎悪や嫌悪は、その人自身が幸せでないと、すごく共鳴増幅されるのは、歴史の語るところです。

  格差が広がり、過重労働が増える一方、可処分所得は増えない現在、日本でもヘイトスピーチに代表される憎悪や嫌悪が改まる兆しが見えないのが、気掛かりです。

 暮らし向きがきつくなればなる程、自分らエライ!あいつらアホ!と差別偏見で、見下す事で溜飲を下げる向きが増えるし、それを操る危うい政治屋も出現、結果、悲劇的な結末に向けて、希望を持って突き進むというパターンの繰り返しは避けたいです。

  と、人ごとのように書きましたが、自分の中にも容易に憎悪、嫌悪、偏見に結び付く芽があるのを感じます。

  それはあいつらはこうなんだよ、という伝聞に基づくものではなくて、自分自身の経験から来るものだけに、ある意味始末に悪いです。

  何度にも渡り理不尽な仕打ちを受けているうちに、その相手に対して、一定の見方しか出来なくなるのは、ある程度は仕方ないと思うのですが、気がつくと、その人と何かを共有するのも嫌になっている自分がいたりします。

  昔、祖母から「子供時代に、家に親子連れの物乞いが来ると、母親が欠け茶碗で残り物を食べさせてやった」と聞いて、何とも嫌な気持ちになったのですが、気付くと自分もその人と同じものを使いたくないと、同じ場所にいたくない言う気持ちになっています。これが昂じると同じ空気を吸いたくないにまで行くのでしょう。

  物乞いに対するスタンスには、単なる嫌悪だけではなくて、施しを受けている自分たちである事を自覚させ、そこからはい上がりたい気持ちにさせる鞭としての作用もあったのでは?と思いますが、私のそれは、ナチスがユダヤ人を不潔扱いしたような、こいつら要らん、出来たら消えて!という不穏なものを含んでいると気づき、我ながらぞっとします。

  もし、私に権力があれば、その相手を消してしまいかねないかも?(ここで、ドラえもんのエピソードに、独裁者となり、嫌な奴は消しまくるのび太が、最後には一人ぼっちになり、寂しさに泣くというのがあったのを思い出しますが)

  好ましくないとは言え、個人的な憎悪ならまだしも、そのうちに「私に嫌な思いをさせたこいつらの一族」とか「私に嫌な思いをさせたこの企業」というようなラベル貼りをはじめると、ホロコーストのような悪しき広がりにつながる訳で、権力者の格好の標的になります。

  政策的に偏見を浴びる標的を事更に作り、大衆の不満から目を逸らさせるも、国民が幸せではない閉塞感あふれる国の王道政治ですね。

  イスラム教をはじめ、様々な偏見をぶち上げたトランプ氏が、閉塞感破りの王道に陥らないでいてくれる事を切に願います。

  それと共に、そういう芽を人は抱えてしまう、という前提を頭ごなしに否定せずに、 自分の中の悪い芽が大きく育たないように、自分と世の中を見つめ、ごくごくほんの少しでも、悪い流れが怒涛になるのを食い止められればと思います。


   甚だしい我田引水ではありますが、あふれるコマーシャリズムに躍らされずに、上手に節約して楽しい事に注入というのも、生活の質を上げ、ちょっぴりハッピー&心穏やかになれ、憎悪嫌悪差別偏見から遠ざかる一助になるかと思います