自分の好きな事をやっていたら、良妻賢母になっていたというケースならば素敵ですが、誰かに指示されて、時代の要請で、国策で、良妻賢母にならされるってのは疑問です。

  今、「女性活躍」という言い回しで、実態は育児介護に納税者としての職業までを女性に期待している政財界の思惑をひしひしと感じます。

  真面目な優等生タイプand/or長いものに巻かれろタイプだと、疑問を抱かず、おえらいさんずの好きな言い方で言えば「素直に」納得、実行しようとするんだろうなぁと思います。

  戦前もそうでした。そして、同調圧力が物凄い中でこども時代から刷り込まれて来た上の世代の人たちの中には、理不尽なあれこれによくぞここまで我慢しているな、と傍目には見えても、本人はたいして疑問を感じていないケースも見てきました。
  
 一方、現代の比較的若い方でも疑問を感じず、理不尽な事を試練、天からの命題と考えたり、女性の幸せとは縁の下の力持ちと考える方も少なからずおられるようです。

  国策で忍の一字で頑張って、幸せと思っておられる方も、試練と受け止めて幸せと思っておられる方も、個人的に幸せを堪能しておられる分には全然問題なしだし、それをはたがごちゃごちゃ言うものではないと思います。

  が、問題は、自分がそれでよかったから、みんなそうするべき!となりがちな点。

  年配の方か、宗教関係者に多いようですし、年配の方の身内で、彼女のそのスタンスでおおいに快適な思いをして来た人たち(だいたいが夫や息子、それに娘も時々いますね💦)も、彼女たちを讃える事で加担しがちです。


   しかしですね・・・疑問を抱きつつも運命を受け止め努力して来た人たちと、上から言われる事を唯々諾々と受け止め長いものに巻かれた人とでは、表向きは大差ないように見えて、実際は大きな差があるのを感じます。

  運命を受け止め努力して来た人たちに、人間的な厚みや魅力を感じられる人が多いのに比べ、唯々諾々長いものに巻かれてしまった人たちって、甚だ失礼ながら、人間的な魅力に乏しい方がほとんどに思われます。

 もちろん、苦悩の果てに信仰にたどり着いた方には、えもいわれぬ穏やかさや寛容さが感じられますが、そうではなくて、脅しすかし的な勧誘や、現世利益などで宗教にはまり込んだ人(つまり、よく考えるを放棄した)たちと、上から言われるがままに疑問を抱かず、周囲にも同調圧力をかけている(いた)ような人たちの事です。

  こういう人たち並びに彼らにより得をした人たちは、自分(又は彼女)が出来た我慢を他人がしない事に不寛容だったり、自分たちが行う理不尽な事にきわめて鈍感だったりします。

  口を開くと説教、禁止文句などが多く、本当の意味での共感性に乏しかったりします。楽しい事より、耐える事に人生の意義があると思っている事も多く、よって他人の不幸に対してはせいぜいが可哀相、ひどい場合には天罰等という実に心ない言葉を口にする事も・・・

  これが「一握りのエリートの下で愚直に働けばいい」とかつて文化庁長官をつとめた作家が望み、今、どうやら政財界が本音で望んでいるらしい国民が大量発生した場合に行き着くところではないかと思います。実に寒々しい話です。

  かわいくないと言われようが、悪妻愚母と言われようが、そして、頭が良くないのは自覚していますが、自分で考える事は放棄したくありません。