今年のインフルエンザ予防摂取は腫れがひどく、腕が重たい、とネットのカキコミで見て、いささか怖じましたが、朝のうちにチクンとやってもらいました。

  言われていたほどの後遺症もなく、ただし、午後になると蚊に刺されたように痒くなりました。が、耐えられない程の事もなく、溜め込んだTOHOシネマズのポイント鑑賞で、「聖の青春」を見ることにしました。

  まずは発券。何の割引もない日なので、席は選び放題でした。

  開演まで1時間はあるので、映画館のあるビル内のヤマダ電機の値引きクーポンでプリンターの純正インクも買いました。
  羽生善治さんの事は将棋音痴の私でもさすがに知っていましたが、本編主人公の村山聖さんについては、名前を小耳に挟んだかも知れないものの、亡くなられた時は子育てが一番大変な時代で、記憶に刻まれる事もなかったようです。

  幼い頃にネフローゼを病み、入院中の退屈しのぎに始めた将棋の腕前をぐんぐんあげた村山聖が、命を削りながら勝負にかける姿を、村山がライバルとした羽生善治との関係を軸に、彼を支えた大阪の師匠や弟子、上京後に支えた将棋雑誌編集者、同世代の棋士、そして、広島の両親と絡ませながら描いています。

  地元紙の辛口記者の映画評では、松山ケンイチさんの村山聖と東出昌大さんの羽生善治がもはや憑依レベルと絶賛でしたが、モデル出身という位だから、元はスラリとしたマツケンが役作りのために、26キロも増量し、病や生活習慣により、むくんだ感じの体型になっていた村山になりきっているのには、日本のロバート・デニーロかと思いました。

  マツケンは大河ドラマの主役、清盛を演じた時にも、前半のみずみずしい若者が、終盤には己が権勢に驕る醜悪なひひ爺となり、感心させられましたが(見ていて、まだ若い人が演じているのをしばしば忘れさせられました)、今回は、リアル人生では美しい妻を得て、父親でもあるうらやましい人が、モテない、恋も出来ない、しないで勝負に執念を燃やす、甚だ失礼な言い方をしてしまえばブサメンになりきっているのに感心しました。

  ハングリーに勝負にかける中で、時々、ちらりと見せる少年のような眼差しが、またすごい。

  対する羽生善治役の東出昌大さん、どちらかというと丸顔印象の役者さんが、カマキリ型の細面の羽生さんに見えました。私ですら知る、羽生さんの揃えた指先を頬にそえる仕種など、羽生さんそのものでした。

  テレビの関連ミニ特集をチラ見しましたが、東出さんは羽生さんから実際に使っていた眼鏡をお借りしたとか。存命活躍中の人物を演じる分、アドバイスはいただけたかもですが、独特の難しさもあった事でしょう。

  エンドロールの最後のテロップに、本作は事実をもとにしたフィクションだから、事実と違うところもあるの旨の注意書きがありましたが、主要登場人物もある程度書き換えてあるようです。

  棋士のプリンス的な端正なエリート、羽生善治と、有り体に言えば容貌魁偉でハングリーな村山聖。その醸し出す雰囲気から怪童とあだ名されていたそうですが、自分の持ち時間の少なさを知りながら、勝負に賭けていく凄まじい熱気が描かれていました。

  周囲も彼の執念を実らせる事を支え、命を削る事になる勝負を続ける事を選ばせますが、もはや止められるものではなかったのでしょう。

   羽生さんと文字通りいい勝負をしながら、体の中に起こっている猛烈な不調を隠し、それにより思いがけない悪手で勝ちを失ってしまったり、志半ばで旅立たなくてはいけなかった村山さんですが、その峻烈な勝負師としての姿は、この作品を通して、さらに長く語り継がれる事になるのでしょう。

  己の命を削っても賭けたいものがある人は、鬼気迫る生き様を見せると共に、周囲に鮮烈な記憶も残すものですね。

  一般的な定義の幸せとは相当に違うものの、村山さんのような生きかたも人間ならではの幸せな姿かと思います。

  
   映画の前、ヤマダ電機やら靴下屋やらセリア(また百均だf^_^;)やらで買物をして、近隣のデパートを覗くうちに、あっという間に夕空が夜空になった冬の一日でした。

  
✳蛇足:上腕部、赤くなっていましたが、結局、たいした不具合もないインフルエンザ予防摂取でした。