秀吉、石田三成の出世物語に欠かせないのが、察しのよさで、そのほか大勢から一気に上司に目をかけて貰える存在になった事。

 日本に来る外国人観光客が感激するというおもてなしも、こちらからの要求、期待以上の事をやってくれたという、いわば察する力に寄るところが大きいようです。

 以心伝心、痒いところに手が届く、等など、いいニュアンスで察する力が
語られる事が多い日本であります。
 が、が、が・・・

 気になるのは察する側がほぼ察して貰える側に対して、上下関係にあり、下の階層にいるという事。日本ではお客様は神様ですという言葉が蔓延したように、お金を払った側が上に立つというのが一般的でありますし。

  もちろん、上司や年長者に対し「あの人、察しが悪いから」等と言うことはありますが、その場合は本人に面と向かって言う事はまずなく、前者に対しては陰口や悪口、後者に対しては仕方ないの年寄り扱いで済まされるのが殆どです。

  このような察する文化は階層の上位者にはなかなか快適な文化であります。

  しかし、察しないと気が利かないと罵られたり、最悪人格否定的な事まで言われてしまう側にはなかなか難儀な面がありますし、絶えず察するべく気を遣って(遣わざるを得ないようにさせられ)心身に不調を来たす例は決して少なくありません。

  特に日本の女性は察する力があることがよしとされており、男性が多少気が利かなくても若気の至りで済む時も、女らしくない、無神経、等などと言われ、女性が仕事を続けるのが難しい時代には最大の脅し文句「気が利かないと嫁の貰い手がない」とまで結び付けられたものでした。

  こんな察する力、仕事の場合はともかく、家庭ではどうなんだろう?と思わざるを得ません。

  特に嫁という形で、男性側に女性を取り込むのがいまだに一般視されている日本の結婚において、長年に渡り察しなくちゃいけないのはのは嫁でした。まぁ、最近は若いお嫁さんに気を遣う女性の声も多々聞こえて来ますが、いずれにせよ、メインに気を遣うのは新嫁に旧嫁という女性である事が多いです。

  男性は元来察する力に長けている人は別ですが、特に今の年配者、勉強さえしてればで育てられた働き盛り世代は察する力を育てられていない事が多く、察する事は職場だけでたくさん、家庭でも察しなきゃなんて疲れる、と浮気に走る人すらいます。尤も、元来察する力に長けていたらしい秀吉さん、浮気三昧でしたね(笑)。

  
   察する力はしばしばかくあるべしという無言の圧力となり、気が利く人として立ち回ろうとするために、自らを擦り減らし、しかも評価はされず、それで当たり前となってしまいがちという負の面を持ちます。

  特に家庭に於いては、言葉にならない圧力を察し続けるうちに、完全な上下関係が構築されがちなので、敢えて察しないで、 やって欲しい、やってくださいと頼まれてからなど、ちゃんと言葉で確認した方がよいのではと思うようになりました。

   というのは、本人の自覚の有無を問わず、他者から見ると狡猾なタイプは言外ににおわせ、察しさせて、自分の思い通りにしたがるからで、この場合、察した側が頑張ってやった事でもうまく行かないと、後から「頼んでもないのに勝手にやった」と持って来られるリスクが高いからです。もちろん、職場等でもあるパターンですが、家庭内だと、冷静に見ている第三者がほとんどおらず、たいがいは一人でくたびれ果てるはめになります。

  好意でしたのに、そんな言い方されるなら、何もしないで非難される方がまだマシというものですよね。

  一方で、して貰う側でも、必ずしもうれしくないケースもあり、気が利く、はずが気のまわしすぎで、何かなぁとなるのも良く聞きます。

  察する力、気が利く事を悪用するのは、上記のタイプだけではなく、察している側でももちろん可能です。

  特に何らかの事件に於いて、互いに察した扱いして、言葉を何らかの形で後から見えるように残さないなら、記憶にありません、とか証拠がありません、とか、どうでも言えますしね。

   今、テレビを賑わしている問題も、察してやってあげたって事になるんですかね。国家財政が厳しい折、国有地なら少しでも高く売りたいはずが、デメリット付けての大安売り。これが精査なしとか、察するだけで行われていたとしたら、何か働きかけがあって行われたといよりも、かえってずーっと深刻で恐ろしい事態だと思うんですが💦