いまどきはこどもを甘やかし過ぎるとか、悪い意味で友だち感覚できちんとしつけをしないとか、放任が問題になっていますが、私の世代だと、叱って育てるが多数派だったかと思います。

  これは親世代から上が戦前の教育勅語ベースの減点法的な考え方にどっぺり浸されていた事に加え、長年に渡り、日本人の美徳は控えめとされてきたのが大きいかと思います。

  すなわち、我が子の自慢するより、欠点をあげて謙遜して見せる、という今なら相当嫌みと思われても仕方ないのが、幅をきかせて、素直に我が子自慢するのは親バカとされていました。
  
 特に、今と違うのは祖父母の存在。今でこそ6ポケットなどという言葉があるくらい、祖父母が競って孫のために頑張る構図が珍しくなくなりました。孫の人数が減り、貴重な存在となったのも大きいでしょうね。

  しかし、昔は舅姑の手前、あるいは親戚やらうるさ方の目に対してなど、心ならずもこどもを予防的に叱り付けるというのも多かったようです。

  私自身は父方の祖母は優しい穏やかな人でしたが、同居する事の多かった母方の祖母は厳しい人で、友人の祖母をうらやむほど、あれこれ口うるさかったです。

 要するにこども嫌いたったんですね(童の人形創っていたのに😅)。あれこれ口うるさくされた事が今に役立っている事も多い一方、まず叱られるという育ちの中で、身につけたのは弁解というか、言い訳というか、責任転嫁の傾向でした。

  祖母には口ごたえするなと叱責されるのですが、その分、学校や友だち相手に言い訳が多かったに違いありません。

  それに気付かせてくれたのは、高校一年の時に親しくなったクラスメート。残念ながら、私の転校を機に徐々に関係が薄くなり、その後お付き合いは途絶えてしまい、今どうされてるか、成人以降全くわからないのですが、ある日ずばりと「何でも人のせいにする」と指摘を受けました。

  指摘されても、すぐにピンと来ない程の習い性になっていたのですが、今ならわかります。何しろ、身近に弁解やら責任転嫁が習い性になっている人が複数いて、しょっちゅうカチンと来てますもので(苦笑)。

  ピンと来ない程、本人自覚無しなのが、責任転嫁癖の始末の悪いところなのですが、
その後、どの言い方が良くないのかとか、どういう考え方がつい人のせいにしたくなるのかなどを考え、四苦八苦しつつ、少しでも気をつけるようになったつもりです。

  私の周囲の責任転嫁やら自己弁護の塊な人たちを見ていても、やはり叱られる育てられ方をしているようです。

  誰だって叱られるのは嫌なもの。ましてや他人への体裁のために叱られたり、何かをやりかけたところで、全体を見回さず枝葉の事でヤイヤイ言われるのは嫌なもの。自ずと、言い訳やら、責任転嫁をして、自分への風当たりを弱めたくなっても仕方ないと思います。

  しかし、そういう人たちは自分の非を素直に認めるのも難しく、無駄に抗弁し、かえって信頼を失ったり、人間性を低く見られたりされがちです。

  自己防衛のためにしている事で、結局損をしてしまうのが、責任転嫁、非を認めない抗弁だと思います。ことに立場の弱いこどもの場合、萎縮させてしまう叱り方は気をつけないと、と今更ですが、思います。

  大人だって、一方的に、あるいは理不尽な叱られ方をしたら、萎縮したり、自信を失ったり、いいことありませんしね。

  大人になってからだと、自己防衛癖を身につけてしまったことに気がつくのは難しいですが、もし指摘してくれる人がいたら、とっさに抗弁したり、激昂せずに立ち止まり、考えてみられたら、人生まだまだ明るくなるのではと思います。

  翻って、周囲の人に感謝の言葉しか言わず、決して責任転嫁しないで、選手生活を終える浅田真央さん、本当に素晴らしいですね、と記者会見を見て思います。💖

  彼女を見ていると、一流の人、人生の主人公として生きている人は、責任転嫁は決してしないという事を強く感じます。

  言わなきゃいられない程ひどかったのかも知れませんが💦、言いにくい事をずばりと言ってくれたあの時の友に感謝しています。



✳・・・と書きながら、友だち、知人には、本人無自覚のまま払拭出来ないでいる癖で不快感与えてるかも?とちょび不安です。お付き合いくださるみなさん、ありがとうございます。_(._.)_