至ってケの日だった昨日、誕生日を迎え、また一つ歳を取りました。

 歳を取ったなりの物忘れの激しさや体力気力の減退、歳を取ったのにちっとも増えない分別💦

 というギャップを抱えながら、下り坂を直滑降にならないように、そろそろ歩いて行く所存でございます。
 で、五木寛之さんの「孤独のすすめ」を読んで、まだこんな達観出来ないよー!と思いつつも、あれこれ考えるケの日です。

  最近、時に思うようになっているのは、嫌いな人、苦手な人って、全部ではないけれど、実は鏡映しな部分があるからかも?という事。

  例えば、私が以前、憤慨していた失言、暴言な人。自分には暴言癖はないと信じたいですが、失言は結構してしまった(今も時々やってるにちがいない💦)のは間違いありません。

  失言の理由として大きいのは、相手に親しみを持ち、ついポロっと本音が出たり、自分の中では褒め言葉や愛情表現だけど、世間では全くそうは思えない言葉を説明不足で使ってしまったなど、親しき仲にも礼儀ありを忘れてしまって、がありました。

  私を失言暴言で不愉快な気持ちにさせた人ももしかするとそうなのかも? しかも、その人の場合は私の方が目下、年下ですから、なおのこと配慮不足で、また年代や生育環境から、それが許されると思ってしまったのかも知れません。

  思えば、彼女にすごく不愉快な気持ちにさせられたからこそ、自分は気をつけようと思えるようになったのかも知れません。

  また、私は自他共に認めるけちん坊ですが、身近に、自分と気に入りの血縁者のためにはお金をかけるが、そうではない人には物心両面で何かするのを惜しむ人がいるために、我が身を振り返る良い機会になりました。

  とは言え、相変わらずのけちん坊ではありますが、あまりにセコい人が、少し長い目で見ると、結局損をしたり、自らに不利益な結果になるのを見てきたものですから、お金の使いどころを考えるようになりました。

  これも、周囲がお金にきれいな人ばかりなら、そこに甘えて、ますますのしみったれになっていたかも知れません(もちろん、お金の使い方がきれいな方達から学ぶこともたくさんありましたが、まずはセコい、みみっちいのの度が過ぎるケースを見て、比較出来たので、納得が行ったというのがあります)。

  とりあえず、すぐに頭に浮かんだ例を出しましたが、他にも、やだなぁと思う他人の行動が、よーく考えると、自分にもあって、人のことはよく見えても、自分のことは見えてないやら、近親憎悪的に不快になったりというのはありそうです。

  若い頃には、宗教の教えなどで、あなたに嫌な事をする人はあなたを高めてくれる人です、だから、嫌ってはいけません、などと言われたり、読んだりすると、ケッ!でしたが、最近は確かにそうかもと思えます。

  ただし! そこは凡人、○○の穴がちっせー私ですので

  嫌いです。好きになれません! 会いたくないっ!私の前に顔出さないで〜!

  というような未熟ものそのものの考え方から、寛容な赦す心が生まれるように・・・なれるんでしょかね?

   私の周囲を見る限り、年を取って丸くなる人より、そうではない人の方が多いんですが💦