割れ窓理論というのがありますね。窓ガラスが割れたのを放置しておくと、んならいいだろう、で更に割られたり、荒らされたりと、だんだん荒んで汚くなり、場合によっては治安まで悪化というお話です。
  
  その逆をやって立て直した例としては荒れ放題だったというニューヨークの地下鉄の話が有名ですね。

  さて、大きな建物、有名な場所ではなくて、我が家でも割れ窓理論が大事というのをヒシヒシと感じる今日この頃です。
  と言うのは、毎度ぶつくさのネタになっている物溜まりによる汚部屋化。家族といえども、いや、家族だからこそ、家庭内平和のためには個人の持ち物はアンタッチャブルなんですが、その前段階で、なるべく食い止める事だなと思っています。

  具体的に言うと読み終えた新聞。これを何日も目につくところに置いてしまうと、家人が切り取りたいと印を付けてしまう箇所が増えて行きます。だから、新聞休刊日の翌日のテレビ欄のような例外を除いては、翌日には資源回収の袋に入れてしまう事!

  簡単なようでなかなか出来なかったのは、自分自身が新聞の切り抜きが大好きだったからです。あれもこれもと考えて、つい自分の目につくところに数日分を置いて、あとでまとめてと思うのですが、狭い家のこと、自分の目につく、は家人の目にも入ります。

  新聞の切り抜きに関しては、義父が赤鉛筆で記事を囲ったのであとで切り抜くから、と言って束にした新聞が最晩年には縁側や自称客間という開かずの間にあふれていました。恐るべしDNA?!  教えられた訳ではないのに、我が家でも同じ現象が起きつつあります。

  こと自分に関しては、映画や読書、展覧会など、一部で見直す記事もありましたが、ほぼ見直さない。となれば、埃や古紙が好きな虫を呼ぶばかり。

  今は例外としてフィギュアスケートの記事(地元紙なので、あまりたくさん掲載されないのがミソです)と直近に見るかも、読むかも関係などに絞って切り抜きます。後者については、読まなけりゃ、見なけりゃ、回収に出します。

 という次第で、新聞は翌日には切り抜きしてしまい、視野から退けるよう努力しております。

  年を取れば取るほど、取捨選択する判断力を筆頭に片付け力が低下する一方で、執着心が増す人も少なからずいるようで、家人はその典型😅

  最近では旅行先で買った食品のパッケージまで取っておきたがりますし、カタログも溜め込みがち。もちろん、衣類や身の回り品も同じです。

  本人領域に入ったもの、取って置いてとご指名のあったものに関しては、内心罵りながらも、自分が逆をやられたらやっぱり嫌だと思うので、仕方なく治外法権にしますが、その手前で、やはり、気をつけています。

  例えば、やっとこさ捨てる!と言ってくれたものは確実に捨てます。うっかり忘れると、やっぱりやめたとなるリスクがあるので。

  パッケージ類も食後使用後は、なるべく早く資源回収用の手提げ袋に見えないようにして突っ込む!

  老化による片付け力の低下と執着心の増加の一方で、老化のおかげで見なきゃ忘れるパワー(?)は我が身に照らしても、間違いなく促進しています。

  家人の場合、溜め込み力&執着心>忘れる力なんで、なかなか大変ではありますが、少しずつでも減らして行こうというのか、我が家の割れ窓理論の応用であります。

  この忘れっぽさ、もちろん、自分の物減らしにも適用すべし!


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