何と何と、パソコンのキーはシフトキーまで使えなくなっているのに気付きました。

    子どもの頃から大好きなナルニア国ものがたりの瀬田貞二先生の翻訳の影響で、文中にカッコを差し挟むのが常態化している身にはoが押せない次くらいに困ります。

     暇つぶしにするアンケートも、配点の高い設問は自由文で回答せねばなのに、oやらp抜きでは意味不明。仕方なくスマホで文を書いてパソコンのメアドに宛てて送信してコピペをすると言うおバカっぷりです。

    これを非生産的と言わずして、何と呼ぶ!
   
   で、家事を終えてひと休みの時には、相変わらずネット閲覧と非生産的の3倍増しだと思いつつ、ゴロゴロしながら振り返って見ました。

    昔から何冊も収納・片付け→シンプルライフ→断捨離→ミニマルライフという感じの打順で、本や番組、雑誌、Webページなど見て来ましたが、私の見るところ、最初から片付けが上手な人は殆どおられず、その買いっぷり集めっぷり、散らかし具合がどの程度かはわかりませんが、多くの方々が自分はもともとダメだったと述べておられます。

    そもそも最初から出来ている方々が片付けをはじめとするノウハウを述べても説得力がないから、敢えて謙遜している例もあるかもですね。

    私の友人、知人の中には、とっくに出来てたから、こんなにブームになるならノウハウ本書けば良かったわ、と豪語している人もいますが、彼女たちが書いても、上から目線の教えてやるぞ!になってしまい、いまいちかもです(本人たちには言ってませんけど😉)。

    こんなにダメだった私が様々な経緯を経て、スッキリ暮らせるようになった!は私ってダメだわ、と思っている人にも希望が湧きます。

    例えが不適切かもですが、聖書に登場するマグダラのマリアを思い出します。

    最初から優等生な女性ではなくて、堕落した女として軽蔑されていたマグダラのマリアが、キリストと出逢い、改心し、彼の最期の時に当たっては、高名な弟子たちより毅然として、高名な弟子たちではなくて、彼女がキリスト復活の場に立ち会う、そのドラマチックさが、よりキリストの偉大さを感じさせるのですが、凹の後に訪れる凸は、より希望を感じさせてくれ、ごく普通の人にとっても身近に感じられ、説得力があります。

    それで言うと、私の片付けって、マグダラのマリア級のドラマチックさがありません。

     筆子ジャーナルはじめ、色々な方々が述べておられる持たない、減らすのノウハウの幾ばくかは(あくまでも幾ばくか、です)実践済みで、ごく僅かな事例ではありますが、物によってはダンシャリアンの方々より手持ちが無いかも?なんてのもあります。

    だいたい、どの先生方も戒められる衝動買い、私の場合はフィギュアスケート絡みだけかも😄。しかも、それは当たってナンボの世界ですし、当てるのはモノではなくて、感動の時間なのです。

     皆さんが増やして悩まれるという服についても、出産後、もう無理というのはウェディングドレスをはじめとして、割合あっさりと処分してしまいました。

    ゴミとするのなら、抵抗があって出来なかったかも知れませんが、その頃、海難に遭われた方のご家族のためにドレスをと言う呼びかけを目にしたことで納得して手放せたし、OL時代の服は年下の友人や親戚が貰ってくれましたので、ラッキーだったとは思います。

    率直に言うと、母が存命中は、欲しがりません勝つまでは!で青春期にはモンペを着て、戦後は一張羅の着物を売り食いしたリベンジを娘で果たそうとしたらしい彼女好みの服をずいぶん買わされました(勿論、私の給料から🤷‍♀️)。

    でも、本当のところ、私の好みとは微妙にズレているのを我慢してたんですね。母との別れの後、彼女が残した沢山の服を処分しているうちに、母を好きでも母の好みの服は似合わない!という事実に目覚めました。

    そうそう、連れショをしない!と思えるようになったのも母のおかげです。彼女は私と一緒に買い物に行くと、私のお金で自分の願望を満たそうとしていたわけで、これも一種の戦争被害、戦争の後遺症だと思うと、哀愁を感じこそすれ、恨む気はさらさらありませんが。

    母が亡くなった後に、試行錯誤しつつ、自分の服の好みがわかり、むやみやたらと数を増やしたいと思わなくなった次第です(とはいえ、最近はついつい手ぬいで増やしてしまいますが、手ぬいペースではたかが知れてます)。

    ってなことで、ある程度出来ていると、見たり読んだりした時にふむふむと共感したり、先生方からほめて貰えているんでは?という能天気な気分になれる反面、真剣さや、渇仰して頑張ろう!と言うところまで盛り上がれないというのが実態です。

    マグダラのマリアのような、今のままではだめだ!という切実さがあると、やるときは一気に!となるのかも知れませんが、中途半端に出来ていて、中途半端に出来てないと、まあまあなあなあで流れてしまうのが、凡人の困ったところ。

   それで、またまた諸先生方のWebページを閲覧して、ビシーと鞭打ってくださるところをめっけて、己が怠け心を何とかしようと足掻く、でも、ここんところは褒めて貰えてるよね、と緩むの繰り返しグデグデ。

    困ったもんだよ。トホホ(^◇^;)