八ヶ岳だと、自宅より、だいぶシンプルに暮らせると書いた後に、はたと気付いてしまいました。

    生活のリズムに欠かせないと思っていて、無くなったら嫌だと思っていたのにもかかわらず、無いからシンプルなんだなぁと・・・・・
    それは新聞!

   
  自宅では起き抜けに玄関ドアの脇の扉の凹みから新聞を取って、ひと通り目を通し、寝ぼけモードから家事モードに切り替えるのですが、ここではそれが無い。必要ない(^◇^;)

    そして、それが無いのがストレス軽減に寄与しているのです。

    まずテレビ局が4つしかないから、テレビ欄がほぼ意味をなしません。

   そして、自宅ではやたらと新聞の切り抜きをする家人も無いものは切り抜けません(切り抜きをただ積み上げるだけだから、視覚的ストレスと埃呼び寄せによるアレルギーのストレスが凄いんです(;_;)。

    そもそも、このエリア、私が高校生の時には新聞配達はしてもらえず、一番近くの農家の方にお願いして、学校帰りに取りに寄って新聞受けから我が家分をいただいたかと思います。

    その一番近くの農家というのが下り道で10分以上、上りは20分くらいかかる距離でした。

    余りに不便だったので、程なくして、郵送で昼ごろに届けてもらうようになりました。朝刊とは即ち昼刊なり〜の世界で、もちろん、送料はこちら持ち。

    今はコンビニで買えますが、そこまでするならテレビのニュースでいいやと。山梨県ローカルはかなり細かい話題を拾ってくれますので。

     電子書籍より紙書籍の方が好きだし、新聞という文化が無くなるのは困る!特に忖度だらけの今のマスコミにあって、かなりの直球勝負している地元紙は応援したい!と思っていたのに、何ですかね、この見解は。

      とは言え、やはり自宅に戻ったら、新聞は再開しますし、無いとエンジンがかからないとは思うのです。

    それが普段の生活というものなのでしょうね。