夕食の時間帯にEテレでエジプトの古代王国の墓の再現ミニドラマ付きドキュメンタリーを放映していました。

   見たいけど、見られない。

    だって、口に物を入れてる最中に人の干物は見たくないもん。
  
    食事を終えて、皿も台所に下げてから、テレビをつけたら、やはり何度めかの様子で人の干物が映りました。

   人の干物、はい木乃伊のことです。

    考古学的、博物館的で、現代に於るご遺体とは違って、たとえご本人が殺人事件の被害者だとしても、あまりに遠い昔の話過ぎて、研究対象であったり、展示物と化してしまっていて、その意味では不気味ではないはずなんですが、やっぱり不気味です。

    特に眼窩ってこわいです。海賊の旗印🏴‍☠️でも、タロットカードの死神や、北斎の妖怪でも、眼窩くっきりの頭蓋骨があってこその恐ろしさです。

   なのに怖いもの見たさってあります。

   忘れられないのは、結婚したての頃、平泉の中尊寺に行った時の衝撃的なキャッチコピーでした。

    金色堂の手前にある昭和半ばの学術調査の時の短編映画を見せる小さな展示館に、人寄せのためにでしょうけれど、大書してあったのは、ミイラ!の文字でした。

      今のような精緻な映像ではなくて、古めかしいモノクロ映像で、しかも学術調査と言われたらドン引きする人たちも、ミイラ!と書かれていたら、お化け屋敷的な好奇心で入館してくれるのではないか?という下心と苦肉の策を感じる、殴り書きっぽいあんまり上手とは言えない文字だったと記憶しています。文字に必死さがにじみ出ている感じでした。

    で、そのミイラ!に惹かれて入館しましたが、そうしつつも、頭の中では『いいのか、金色堂におまつりされている、いわばこの場の主である方々をミイラ!呼ばわりしたりして』という疑問符は頭の中にずっと浮かんでいました。

     学術調査に入る前に、雪深い中、菅笠を被り粛々と歩む、藤原氏を信心する人たちの姿のシーンもモノクロであるからこそ印象的で、モノとして調査する研究者たちと、ご遺体を含む中尊寺を信仰し敬う人たちとの対比が際立っていたのを覚えています。

     それから、学術調査と言えば、徳川将軍家の墓所の調査も大々的に行われたようですが、幼稚園か小1くらいの頃の話で、母親が色めき立っていたのを覚えています。明治100年の前で、生前の徳川慶喜公を覚えている方たちが存命の頃でしたから、生々しい感情を呼び起こしたのでしょうね。

     宮内庁が古代墳墓の調査を許さないために考古学的な不明が多いと言われて来ましたが、徳川家墓地の調査も、世が世ならあり得ない調査だったのだろうと思います。

   比較的、最近読んだ新書に、暴れん坊将軍の後継者で影の薄い9代目将軍家重公の調査時の写真が掲載されたいるのを見ましたが、やっぱり、載せてしまっていいんかい?という気持ちにはなりました。

    私なら、裸を見られる以上に遺体を見られるのは嫌だなぁ。

     でも、見たい需要がある、というか好奇心が湧くのはなんででしょうね。

    個人的には、小さな頃、モノクロ画面のテレビの時代劇の流血ですら、ギャーギャー泣くほど嫌いで、今もスプラッター映画なんて10万円貰えたらやっと一本見るかも?というくらい流血シーンは嫌いで、万が一、殺人事件の裁判員候補になんてなったら、断固辞退しますが、でも、チラッと木乃伊とか考古学的ご遺体を見たいとは思ってしまうのは否定出来ません。

    本当に不思議です。乾いていて血糊もへったくれもないからですかね。時を経て、もう霊魂はとっくに去った蝉の抜け殻みたいなものと思えるからでしょうか。或いは人の儚さを、生物界に君臨しているかのような人も所詮は物体と知るためでしょうか。それとも、その物体が生存中は実に様々な事を成すいのちの不思議さを感じるため?

     どうしてかわからないけれど、見たい気持ちはある。

    でも、食事時には見たくないよ、特にアジの干物を食べてる時には………とおバカな事をつらつら考えてしまう夕べでした。f^_^;