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 ひな祭りが近づいて来ました。毎年恒例の画像を貼っておきます。(^-^)

 あんまり乾かなさそうな空の下、洗濯物を干しながら、ふと思いましたが、言葉を選んで話さなくてはいけない相手というのが疲れる相手なんだよな〜と、今更ながら思います。

 若いうちは「先輩」「上司」「先生」「年上の親戚」「近所の人」などなど、そういう対象はたくさんいて、ご家庭によっては祖父母、両親にも言葉を選ばないとという場合もありますよね。

 誰に対してもため口より、敬語とか謙譲語など取り入れて、きれいな言葉づかいでしゃべった方が、はたから聞く分にはいい感じなんですが・・・。

 私の言う「言葉を選ぶ」というのはそういう意味もないわけではございませんが、そうではなくて、内容の加工度のこと。

 何か言ったとして、すんなり受けてくれて、次の会話に移る人に対しては、言葉遣いについては気を遣う必要があっても、加工度は低いです。

 ですが、なぜか、何か言うと、都度ひっかかったり、軽くキレてくる人います。そういう人には基本の言葉遣いは置いておいて、たとえ同年代だろうと、年下だろうと、いちいち加工をしないといけない。それがしんどいし、面倒くさいのです。

 例えば

ワタシ「あれが見つからないのよね」

相手「どこに置いちゃったか思い出せない?」

てな調子ならば、加工度低くてOKな人。

 ところが

ワタシ「あれが見つからない」

相手「私、取ってないよ」→凶悪化→ 「俺が取ったと思って言ってるんだろ? ちゃんと探せよな!」

 というように、なぜか自分に引き付けて考えて、勝手にキレてしまうような相手だと、いちいち加工して話さないといけなくなります。無用に相手の怒りを引き出さないようにと。

ワタシ「本当に最近、物忘れがひどくてねぇ、あれが見つからないのよね」

などと悪いのは私、絶対にあなたのせいじゃない、という意味合いの前段をつけたり、そもそも言う前からフォローしなくちゃだったり。💦

 
ワタシ「そのお洋服、すてきですね」

相手「そう、ありがとう。うれしいわ」

なら普通。

ワタシ「そのお洋服、すてきですね」

相手「服だけ?」→凶悪化→「どうせ、いつもはボロ着てますよ」

 ってな感じで、これもまた「いつもよりさらにすてきなお洋服ですね」などと、余計な修飾を要します。

 誰でも、多少はこういう傾向があり、私だって例外ではないのですが、しょっちゅう言葉を選んで会話しないといけない相手ってのは、気疲れしちゃいます。
 
 その気疲れが、給料アップにつながったり(逆説的なとらえ方するのなら、降格しないで済むとか減給を防ぐとかね(^^;)、うるさい親戚のおっちゃんが多めにお年玉をくれるなどの実益があるのなら、そして頻度がさほど多くないのなら我慢も出来ますが、そういう相手って、心の中では「うるさがた」で「本当は出来るだけ顔合わせたくない」ですよね。

 これが加工をしても、直接的にいいことがない相手で、それもしょっちゅう顔を合わせなくてはいけないとなると・・・疲れるわ。

 中には、言葉ひとつで僻んりだりキレたりする上に、マウンティングするタイプまでいます。相手からの称賛を必要とするけれど、自分は相手の欠点を突っ込んで「でも、私は違うけどね」とわざわざ優越性を示したがるタイプって、実は嫌われたくてわざとそうしている?って思いたくなります。

  いずれにせよ、言葉をいちいち選ばないといけない相手って、同年代だったら、友だちじゃなくて知り合いにしかなれないだろうし、ご近所さんや親族ならば、敬して遠ざけたい存在だし、要するに、自分から連絡して進んで会いたい相手のリストからは外れるわけです。

 いちいち言う前に言葉を選んで、加工して話さないとひがんだり、立腹したり、はなはだしきはマウンティングする、いわば沸点の低い人って、結局は自信がないということなのでしょうかねぇ。

 いちいちお礼を言われることを求める人にも共通ですが、自分を認めてほしくて仕方ない、「ママ、おしっこ出た!」→「あら、〇〇ちゃん、ちゃんと教えてくれてえらいわね〜」状態に近いですわな。承認欲求の強い人でもありましょう。

 つまり他人の目、他人の評価が軸になって生きているということでもあると思います。

 先般、トクサツガガガの項でも触れましたが、親が子どものためと言いながら、自分のために子育てすると、こういうタイプになりがちなのでは?と想像します。

 成績が良いとか、お行儀が良いなどの、だれでもわかる優等生になって欲しいと「誰かと比べ、優劣をつける(で、優の方になりたい気持ちをそそり誘導)」「親の認めることを良しとする」などの手を使うと、親という軸こそが、自分の軸と錯覚を起こしたり、自分で判断する力がつかないまま大人になってしまいがち。でも、恐らくご本人は潜在的に借り物な自分をわかっていて、自分を信じることが出来ない、だから人からの称賛や感謝がないと自分を肯定できない、自信が持てない・・・となってしまうんではないかと思うのです。

 私の子どものころくらいから「ママちゃま」に過剰な期待をされて、親の前ではいい子ちゃん、仲間の前では困ったちゃんというキャラクター、笑いのネタになるようにデフォルメされた形でアニメなどに出現していましたが、ちょうど教育ママなる言葉が盛んに言われるようになっていたころで、あなたの将来のためにと言いながら、鋳型にはめ込もうとする動きが、特に盛んだったからでしょうか。

 周囲にちらほら承認欲求強すぎて、相手をするのがしんどいお方が見られます。同年代ないし年下の方ですと、知人レベルで済むので良いですが、相手をするのは年下の者の義務だとばかりに絡んでこられる年長の方は困ります。

 昔はこういうタイプにも努力して頑張ってお相手をしていたのですが、最近はくたびれてきて、自分が消耗するばかりで、何の見返り※もないこういう人相手に言葉に加工を施して会話するのはやめました。何か言われたら「あ、そうですか」「ふ〜ん」で交わして、相手が欲しがっている誉め言葉やヨイショはしない。そうすると、欲しいものがもらえないので、諦めてくれるようです。www


※会話での見返りとは、ほっとするようなあたたかさや、しみじみとした情緒などのことです。ま、たまには実益(お得情報とか、楽しいノウハウなど)もありますが。