なるべくテレビはリアルタイムで見たいのですが、リビングに鎮座する人がいる時には録画をして、しかるべき時に再生しております。

 テレビを独占していた人が家を出たので、今日は午後からテレビ三昧!

 まずは昨晩放映の「いだてん」から。
  毀誉褒貶さまざまな「いだてん」。ストーリー展開の複雑さに最初のうちに脱落してしまった方たちもかなりいると聞きましたが、私が脱落せずに済んだのは、いだてんの時代背景と我が家の歴史、特に祖父の歴史が重なるところがあったから。

 ドラマを見て初めて知りましたが、金栗さんって、祖父の同窓の先輩でありました。当時の学生のいがぐり頭に詰襟の写真、祖父のアルバムでも見た記憶があります。ドラマで映る高等師範の風景に「ああ、祖父の学び舎、こんなだったのかなぁ」なんて思いました。

 そして、東京オリンピックに関する話と言えば、祖父の親友が「幻の東京オリンピック」の招致に携わったことを聞いていたので、もしやちらりとでも登場されるのでは?という期待もありました。

 その期待、昨晩の分でかないました。

 東京市長の秘書として、ちらっと出てきて字幕で名前が紹介された清水さんです。

 祖父が人生の先輩である金栗さんより早く、70歳で逝ってしまった時、私はまだ小学校4年。祖父から直接いろいろな話を聞くことなど考えず、もっぱら、優しいおじいちゃまとほのぼのしていたという感じで過ごしていましたが、時折、清水さん、愛称テルさんから電話がかかって来ると、楽しそうに話していたように思います。

 私がテルさんとお会いしたのは(恐らく祖父の葬儀にもお越しくださったのかと思いますし、そのほかでもお会いしているのかも知れませんが)、ご本人の最晩年、90歳も越えられて、八ヶ岳の娘さんの山荘で、でした。という事は20世紀末頃でしょうか。

  第二次世界大戦のために、幻となってしまった東京オリンピックの実現のために、当時の東京市長後藤新平の名代として、ドイツに行ったなど、懐かしそうにおっしゃっておられました。その頃、幻の東京オリンピックというドキュメンタリーにも出演されました。かなりお年を召していらしたので、長いお話は出来ませんでしたが・・・。

 この「いだてん」は見終えたけど、速攻の削除しないで、しばらく取っておきましょう。

 それから、やはり録画再生で、癒し系の芸達者な黒猫ちゃんが出てくるドラマ、「捨て猫に拾われた男」を見て、ただいま国立西洋美術館で開催中の松方コレクション展の来歴を紹介する「日曜美術館」を見ました。

 そして夜は録画機能が動き始めてハタと気付いて「永遠のニシパ」をリアルタイム視聴。嵐の松潤さんが、ジャニーさんの訃報直後にあさイチに番宣のため出演したりしていましたが、北海道ロケの画面がきれい。でも、少々端折り過ぎで、もう少し長い時間でストーリー展開してほしかったなというのが正直な気持ち。一回こっきりだと、時間が取られないのは嬉しいですが・・・

 幕末の武士で、北海道という名前を考察した松浦武四郎の物語ですが、主軸となっているのはアイヌの人たちとの交流。アイヌがいかに悪徳商人に酷使されていたかなどを語っているのですが、Twitterを見ると、北海道の地名の多くがアイヌ語から採択されているというのをご存じない方が結構いらっしゃるようで意外でした。観光ガイドを見ると、たいがい「●●はアイヌの地名でした」などと書かれていると思っているのですが。ネットの時代、ガイドブックを手に取る人が減っているのかな?

 それでまたまた思い出してしまったのが、祖父の友人だったという石森延男先生作の「コタンの口笛」。兄の本棚にあった本を手に取ったのは、小学校高学年の頃。




 兄の本棚というのは、なんだか自分が手を出しちゃいけないみたいな存在だったのですが、確か冬、熱が出たか何かで、家にいなくてはいけなくて読み始めたようなおぼろな記憶があります。

 アイヌの姉弟がいじわるなクラスメイトからの差別を受けつつも、あたたかい人間関係の中で成長していく物語でした。つましくても心が豊かという事を知った本でもありまして、上下巻に分かれていて、少年少女向けとしては長編でしたが、一気に読んでしまいました。

 祖父が亡くなった後に読んだのですが、面白かった旨を言ったら、祖母から「石森先生はおじいちゃまのお友だちだから、感想のお手紙を書いたら」と言われたのに、自分のような若輩者が手紙を書いてもいかがなものか、と子どもなりの遠慮をしてしまった事は、過去日記にも書いているかと思います。

 今だったら、ジャスト70歳で亡くなるのは早い方と思われる方が多いと思いますが、昭和40年代の70歳というのは、長寿とは言えないまでも短命とは思われない時代でした。ですが、祖父がもっと長生きしてくれていたとしたら、祖母からのまた聞きではなくて、祖父から直接いろいろな話を聞くことが出来たのに、と思います。

 テレビを通して、祖父のことを思い出した日でしたが、本日は、母の祥月命日でもありました。あれから24年経ちました。母が亡くなった年齢に近づいて行っている自分であります。

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