共働きが普通になった今の壮年世代で、男子厨房に入らずなんて死語になっていそうですが、ある年齢から上はこの考え方が結構染み通っているようです。

    どこぞの自治体の教育関係では、ずーっとお母様方の心のこもったお弁当こそが、と言って公立中学校の給食を阻んで来ました。

    言ってたのは、厨房に入った事無さそうな中年男性校長でした。厨房に入っていたら、必ずしも経済的なゆとりがあるとは言えない公立の学校の保護者が、忙しい中、弁当まで用意するのが大変なはずと容易に想像が出来て、同じ結論を述べるにせよ、違う言い回しをしたのではと思います。

   或いは頭がオヤジになっていた女性校長でも同じ事を言っていて可能性が無いとは言えませんが💧

   今朝、突然、そんなことを思い出したのは、私が毎朝湯を沸かして入れているポット(これも死語かも、魔法瓶)の扱いで、です。

     毎朝ほぼ確実に私が先に起き、家人は起床後に自分の身の回りの事だけ終えるとファミレスモーニング状態で朝食が食べられるようになっています、私には残念ながら。( ;´Д`)

    家人の毎朝の楽しみはコーヒー。味はどーでも良さそうで、こだわりはないのでポットのお湯を注いでいます。

   で、1リットルのポットは私が紅茶のお代わりをしたりで、朝食時間帯に使い切ってしまうこともあるのですが、今朝『残り使い切って良いかな?』という家人に『空にして良いけど、沸かしておいてくれたら助かる』と言った途端、間髪入れず『じゃ、やめる』と返事がありまして。

   なんなんだよー💢

   いわゆる名も無き家事の一つになるかと思う沸かした湯でポットを満たす、それが男子厨房に入らずで育った家人には超めんどくさいらしいのです。

   思えば、結婚して間もなくのこと、新居を訪れた義母の一言にびっくりしたものです。

   いそいそと台所から何かを取り出そうと言う家人に向かって、義母が放ったのが『あんた、男が台所に入ると出世しないよ!』だったのです。

   どっひゃー!

    内心、お義母さん、あなたの息子さん、台所に入らなくても多分出世しません、と思ったのは(ビンゴでしたが💧)さておき、その言葉は長男を妊娠した時の義母の第一声がおめでとうではなくて『あんた、仕事辞めるんでしょ!』だったのと並ぶ衝撃でした。

    その後、義母は孫たちが結婚、新生活を始めると、持論を引っ込め『男だって料理くらい』的な事も言いだしましたが、本音は男子厨房に入らず、特に最愛の息子が家事をするなんて、とんでもない!だったはず。

     大正二桁から昭和一桁生まれ、と言うのは戦前の日本が最も窮屈な時代に若い脳みそにグリグリと刷り込まれています、国家が民を管理するのに一番便利な思想を。

   義父母や私の両親はまさにその世代。戦後民主主義と言いつつ、グリグリ刷り込まれた考え方を払拭出来ない人が多くて、彼らの子ども、つまり私たち世代くらいまでは部分的に踏襲しています。

    男は黙ってサッポロビールなんてCMが流行ったくらいですし、流行りの演歌も大概は未練たらしく(?)別れた人を思うのは女性、と実態とは合わないながら、男が先、中心、女は後、支える側、したがって仕事は男、家庭は女と言う棲み分け意識が今どころではなく強かったと思います。

   そんな中、名も無き家事的な細かい事に気付くのは女性ならではの細やかさとヨイショされ(無給が前提)、男性がそんな細かいことに気付いたり、実際に手を出すのは不甲斐ない視もされました。

    細々とした気配りのされた快適な状態は用意されていて当然。自分はそれを味わうだけ、使うだけ。

    と言う意識が蔓延している男性が大量に生まれた時代なのが高度経済成長期だったのでは?

    もちろん戦前生まれ以前も男性は身の回りのことをしなくて良い!が主流だったものの、明治以降は徴兵制度があり、どんなお坊ちゃん育ちも、徴兵逃れが出来ない限り、お坊ちゃんほど理不尽に思われる軍隊のしばきで鍛えられた面はありました。

   あ、だからといって徴兵制度を肯定している訳ではないです。身の回りのことをやらなきゃ生きていけない環境に強制的にぶち込まれたので、いざとなれば何とかしなきゃと思えるようになる機会であっただけで、上意下達やら封建性が強まる弊害の方が大きかったかも知れません。

   戦争を知らない子どもたちのうち、教育ママゴンに育てられた擬似お坊ちゃんらは、してもらうだけのエスカレーター人生を上がり、もともとのスペックが低いと、男だから、仕事があるからを葵の印籠のごとくかざして、面倒ごとを周囲の、とりわけ女性にふって来れた昭和時代後半でありました。

      そういや、会社でチャラ男のプレイボーイが研修兼レジャーで年齢基準ではなかなかの高級車に乗せてくれたのは良いが、ゴミの持ち帰りを断固嫌がったので、唖然としたのを思い出します。

    車で来たあんたがゴミ持ち帰らず、電車で帰る私らに?と困っていたら、気さくなあんちゃんみたいな後輩が引き受けてくれて助かりましたが、彼はご家庭が自営業で、多分家族みんなで助け合って育って来たのでしょうね。

    見た目も自信にあふれたふるまいも家人とは大違いのチャラ男でしたが、育てられ方は中高一貫の男子校でお勉強してなさい!で来たらしいところだけはおんなじでした´д` ;

     私より上の団塊の世代ですと、民主主義を訴えて闘争をしているのに、女性たちだけ裏方で煮炊きをさせられていたなんて話がありまして、彼らの多くが忠実な社畜に鞍替え後、家のことはお前に任せた!になり、幾歳月……定年退職前後から始まった年金分割制度を活用しての女性から申し出る熟年離婚がちょっとしたブーム(?)になったのが記憶に新しいです。

    確実に可処分所得が上がっていたことで、男子厨房に入らずの家事育児、しばしば自分の夫の親の介護まで丸投げされるのを我慢出来ていたらしい団塊の世代の女性たちですが、今の働き盛りの年代で、男は仕事だけして、家の中のことは女に任せる!なら速攻で三下り半。

    いや、それが最初からわかったら、よほどのことが無い限りは結婚相手の候補から外されてしまうでしょう(よほどのこと:超イケメン、超金持ちなどなど💧)。

    かくして、夫が定年退職を迎える私の周囲では、憂うつだの声がてんこ盛りなのです。収入面では団塊の世代に比べて、早くに陰りが見えたし、年金受給についてはもちろん不利。熟年離婚するのもハードルが上がっているからです(周囲に離婚する程に夫婦関係が破綻している人がほとんどいない、それ故に憂うつ!となるのも大きいのですが😅)。

   家事以前の名も無き家事ですら厭うめんどくさいやつが家に常駐すると思うとぶるる🥶となる訳です。

    もちろんそれ以外にも、職場だけに重きを置いた結果、地域に居場所がなく、友だちの少ない夫が話しかけてくるつまらん話(しばしば上から目線)に付き合わされる恐怖や、居間のテレビ前から動かない恐怖などなどありそうですが。

     私の周囲で、憂うつだぁ!を口にしない友だちは旦那さんが家事しているか、適切な範囲の支出で済む趣味を持っているか、お出かけ友だちがいる人だけです!(きっぱり!)

      Twitterのトレンドを見てから見つけたMENSA関連のブログ(頭のいい人の文章ってこうだよなと思わされますf^_^;)に書かれているまでもなく、頭の良くない私の特徴で、話が迷走しまくりましたが、着地点はやっぱり

みーんな厨房に入って、名も無き家事もちゃんとやろう!

でした。