若者向けの勧誘は、豪華な暮らし、ブランド物ざんまい、高級車に乗ってる、などひと昔もふた昔も前の言葉で言うとイケイケ調が多いみたいですね。

      残念ながら、殆どのケースが詐欺もしくは詐欺まがいの勧誘で、時には犯罪集団の勧誘だったりすることもあるみたいですけど。
     
    何てったって、若者を絡め取れば、先々長く吸い取れそうだし、キラキラしいものに惹かれる人たちも多そうな年代だから、派手なお金ありげ系で行くんでしょうね。

    若い頃から地味なワタシにはその手の勧誘は一度もありませんでしたが(笑)。

   ただしネットとか、ドキュメンタリー的な映像で見る限り、派手派手しい彼らからはガツガツしたものは感じられましたが、幸せオーラを感じたことはありません。

   さて、若くても地味とか、人生の後半くらいで、お疲れ感滲み出る頃に来る勧誘と言えば、ツボだの印鑑だの売り付ける悪徳商法が有名ですが、悪徳とまでは言えないけど、ちょっとねぇと思うのが、宗教もしくは、宗教ではありませんとうたうけど、組織でしっかりピラミッドが出来てる団体から来る人たち。

   いや、信仰自体を否定する気はありません。組織的な信仰についても、どこかに属する事で心の安寧がはかられるのは悪くないと思います。私だって、信仰心は薄いけど、悩んだ時には実家の墓前で手を合わせると落ち着いたりしますわ。

    ただ、こちらから求めていないのに、押し掛けるようにして、仲間にならぬかと言うのはちょっと違うかなと思うのです。 悩める人が駆けこめるように、ドア・イズ・オープンにしてくれていたら良いのでは?と思います。

     宗教的な勧誘は昭和の終わりから平成のはじめ頃は、専業主婦家庭を狙っていたようで、午前中のまだ家事が終わっていない頃に、しかも、わざわざ来てあげてる感を強調するためか、とりわけ天気の悪い日を狙ってピンポーン!と来ましたね。だいたい二人組で、殆ど女性ですが、たまーに男性と女性のペアもありましたし、時には小さな子ども連れもいました。

    その後、バブルが弾けた後から、遭遇しなくなったのは、彼らの事情なのか、私がアルバイトも含めて、朝からしょっちゅう出かけていたからなのか、検証していませんが、またこのところ遭遇率が高くなっています。

     悩めるシニアに手を差し伸べるという体裁のパターンですかね。

    駅の反対側の人通り少ないちょっとした広場で占いの勉強中とか言うオバハン(お前が言うかよ、は置いといてね)から声を掛けられる事が増えたのは、私が転んだり、怪我したりが増えた、まさに加齢の坂を下り始めているのを実感し始めた頃でした。

     あー、声掛けたくなるほど、しょぼくて人生に疲れたオバハンにみえるんだろうなぁ、とちょっと落ち込みましたわ。

   何となく観察していると、彼女たちが声をかけている対象の大まかな特徴がつかめました。

    私みたいにちかびれた庶民のオバハン!

     見てると、ブランドものコテコテだったり、この人、ひょっとして武闘派寄り?とか思うようなタイプはスルーしてましたし、エレガントでセンス良さげな人、見るからにプチっとセレブ感ある人もスルーしてました。

     つまりだよ、声が掛かるってことは、掛けた側とおっつこっつのダサいオーラを放ってる人たちなんですわ。

      インターホンを鳴らして『この近くの◯◯と申しますが』な人たちはワタシのダサダサ具合を知らずに、来るのですが、我が家の界隈が、小石を投げればジジババに当たるので、下手な鉄砲も数撃ちゃ当たるなんでしょうね。

     今日も、午前中、市民図書から戻ると、オートロックも何もない昔ながらの出入りし放題の我がマンションの敷地内を2人組の見かけぬ女性とすれ違いました。

    ひざ下丈のスカートに地味で印象に残らない上衣、一人は着帽。メイクやアクセサリーなど目を引くものは何も無し。くすんだ印象です。

     って、帽子が離せないところは、私の仲間みたいでした。f^_^;

      けれど、今どき、女性が二人いて、そのどちらもスカートを履いているなんて超レアだし、私が知る限りですが、中高年女性がスカートを履く時にはそれなりにおめかししているのがほとんどで、昭和の主婦のサザエさんみたいな格好で日常を過ごす女性は、和服姿の女性以上に珍しいです。

    なもので、もはや、その手の組織に属しているのが、ミエミエと言う感じです。

     はっきり言って華がありません。華があってはいけないのでしょうね。

     多分、その手の組織では、昭和のサザエさんスタイルが後ろ指指されないスタンダードなのでは、と想像しますが、それだけにその組織に絡め取られた(失礼!)あかつきには、同じようなくすみファッションでいる事が不文律になるものと思われます。

    あー、ヤダヤダ。

     ギラギラ欲望滲み出るイケイケ系も好きじゃないけど、出る釘は打ちまくりたい個性埋没くすみ系はもっとイヤだ!

     くすんでるワタシが言えたもんじゃないかもだけど、くすんでるワタシだから言いたいのよっ!

     今の自分と大差ないところでドッペリと浸る事になりそうな組織になんて入りたくないぞ!

    もっとキラキラはつらつとした幸せオーラを漂わせてくれたら考えちゃうかも知れないけど。


     って、結局のところ、本当の本当のところではやりたくないのに、ノルマとして、或いは陰に陽に圧を掛けられて、またはマインドコントロールされるなどで勧誘の儀に及んだ方々からは、健やかな幸せオーラは出てこないんではないでしょうか。

      自分がやりたいから、自分が楽しいから、の自分軸があってこそ、はた目には楽しそうだったり、充実して見えたり、幸せそうなオーラを感じるのでは?と思います。

    普段はどよよーんなワタシですが、たまにはブンブン幸せオーラを放出しているはず。

      と思いたいです。

      例えば八ヶ岳で山々を見ている時に、京都駅に降り立ちめちゃくちゃパワーチャージされた瞬間とか、美しいスケーティング見ている時などなど、そして、友だちと口福(ごちそうand/orおしゃべり)を満喫している時に……(^^)
     
    
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