昨日は友人のご母堂の英断に拍手喝采と同時に、羨望の念を抱きましたが、実はこの友人の旦那さまの方も凄いのを書き忘れていました。
  
  旦那様、中部地方の農家の一人息子さん。

  私の世代の親くらいだと(つまり大正から昭和一桁か、若くとも昭和10年代前半)、旧来の家意識が強く、それが息子が一人だけともなると、かなりの過保護と共に家を背負え!という期待を抱き合わせにして育てるのは、末っ子長男である家人を見ていて身にしみています。

  ましてや農家ともなれば、土地に対する愛着の強さが半端ない、という話は、別荘や二地域居住で農家の土地を手に入れる難しさについての見聞をはじめ、あちこちで見聞きしました。

  が、地域の特性とは言え、旦那様は高校から下宿生活をして、一流大学に進学。そのまま故郷に戻らず、首都圏の人になって今に至ります。

  都内在住と言う地の利があったとはいえ、息子を家から一切出さなかった、遠くには住まわせたくないオーラを噴出、海外勤務などとんでもないと思わせたらしい義実家の意識の方が、ずーっと話に聞く地方旧家とか、農家っぽいです😅

(※居住地にかかわらず、因襲や世間体に縛られ、心より体裁が大事な人たちを、私め、かなり前から八つ墓村脳と呼んでおります)

  で、旦那様のご母堂が先に亡くなり、友人は家財の処分に奔走しましたが、あれ取っておけ、これ捨てるなと言う邪魔はほぼ入らなかったらしいです。

  余談ながら、連絡先が携帯電話と言う古物商が喜んで引き取ってくれて、思わぬ高値が付いたのは、古〜いペコちゃんのノベルティとか、顧みられないことのなかった家族にとってのガラクタだったとか(笑)。

  そして、一人暮らしのお父上が齢90を越え、故郷の親戚から何かと連絡が来るようになっての英断は、当地の特養に入所してもらう!でした。

  お父上としては抵抗がなかった訳ではないようですが、友人のご母堂同様に潔い判断をされた訳です。

  一番驚いたのは、先祖代々の田畑家屋敷も手放されたと言う話を聞いた事でした。

  よく聞く話が、ご先祖様に申し訳ないで、無人の家屋、田畑が残されて途方に暮れる、ですよね。

  譲渡先がご親戚であるというのも、決断が出来た理由として大きいとは思いますが、判断が早かったからこそ、ご親戚の方も譲り受けることが出来たので、グズグズしていて、代替わりしてしまったら、最早二束三文での譲渡すら無理だったかも知れません。

  そう、この夫、夫の実家あっての友人やそのご母堂なのですねー。

  子どもたちが小さい頃からのお付き合いですが、判断が早くて(時に早過ぎて、時々、プリント捨てちゃったけど、明日の工作の材料何だっけ?電話がありました^^;)、要らないものを抱え込まないので、いつも男の子が二人いるとは思えないほどスッキリしていました。

  
  似たもの夫婦という言葉があります。また、割れ鍋にとじ蓋と言う言葉もありますね。

  判断が早く、潔い友人たちが前者なら、チマチマせこくモノを抱え込み、判断先送りして、あとでツケが溜まる我が家は後者でしょうねぇ😓

  しっかし!

  訓練、訓練。他人を変える事は出来ないと言うから、自分だけでも判断力を上げなきゃ!

  相変わらずの65点主義なので、一気呵成には無理ですが、少しずつコツコツやって行きますぞぉ(と宣言しておかなきゃf^_^;)。