と思うような毎日です。

  こんなに毎日どんよりとした気持ちになるのは東日本大震災以来です。
  
  あの時は被害の甚大さを映像や文字から、そして甚だ微々たる被害とは言え、自分も東京港地下トンネルに足止めされ、浸水したら死ぬのだと思ったり、目に見える形で伝わって来ました。

  続く原発の話も、表層的な部分は目に見えました。

  後から分かった放射性物質の飛散などについては、今の状況と似ていますが、それでも人知を尽くせば何とかなるのでは?と言う楽観視のしようはありました。多くの人たちには被害が限定的に見えるので、徐々に危機感が薄れています。

 今のこの状況も時間が経つと、危機感が薄れて行くものなのか。

  当初はインフルエンザの一種みたいなものでは?と思っていましたが、再感染や検査の測定時期により陰性、陽性がブレる、など、今までの知識では対応し切れない面が出て来ている新型コロナウィルス。

  最初は中国の武漢から広まり、今では世界各国に広まり、恐慌をきたしている状態のようです。

  ようです、と言うのは情報が錯綜して、何が真実なのかよく分からないからです。

   公的に述べられていることに関して、それには何かしらの裏があるのではないか?と言う懸念の発言がSNSを通して拡散されています。

  この点はお上の言うことは信頼出来ないものだと言う実績を、その傍目にもあからさまな言動により積み上げてしまった現政権にも大いに責任があると私は思います。

  石油危機の時、店からトイレットペーパーやティッシュ、洗剤が消えたのを覚えています。

  高校の時、使い切るまで3日くらいのシングル50メートルのトイレットペーパー一巻きを恩着せがましく売ってくれた店がつけた値段は半世紀近く前で50円だったのは忘れられません。

  あの時の再来のようにマスク、消毒液などが店頭から消えてしまいました。転売屋の荒稼ぎも問題になっています。

        年長者には既視感のある風景ですが、今回のパニックを起こしているものが純然たる自然災害でも、人災でも、政治的な駆け引きでも無く、はっきりした姿が見えない、これと言う決め手が無いのが不安を駆り立てています。

  一般ランナーもお祭り騒ぎしつつ楽しめる東京マラソンの一般ランナー参加不可から始まり、昨日までに人気アーティストのコンサートなども次々、しかも直前に中止、とうとう国立博物館も臨時休館のアナウンスをしているのを見て、いったいどうなってしまうのだろうかと暗い気持ちになってしまいました。

  ヨーロッパを襲った黒死病の恐怖というのはこんな感じだったのだろうか?と思います。

  もちろん、今より医学はずっと遅れていて、情報も限られていて、宗教権威が強かった中、さらに暗く陰鬱な気が満ち満ちていたと思いますが、医学は進歩しているから、一部の方の重篤な疾患以外は克服出来るはず、と言うのを信じて来た身には、現代の医学でも対応し切れない新型コロナウィルスに対して、中世の人たちが抱いていたと思われる恐怖を感じます。

  とは言え、鄙の我が家の界わいは密集度も低く、駅の近くに出ても、至ってのどかで、本当の意味の危機感はまだまだ低いのですが。

  東日本大震災の時もそうでしたが、あまりに情報収集し過ぎると、気分は滅入り、悲観的になってしまいそうです。

  気をつけながら、なるべく通常モードで行動したいと思います。