本日、野暮用で駅方面に外出。

  運動不足を多少とも補うべく、往路は歩いたけれど、帰り際ぽつぽつと雨が降り始めていたのと、自粛要請以来、時間帯によっては、まるでどっかの自治体の市民バスのように空気を運んでいるがごとくの最寄りの路線バスなので、たまには乗ることにいたしました。

 時間ぎりぎりだったので、PASMOを読み取り機に当てた途端にドアが閉まり発車。つい近くにある手すり棒につかまりました。以前から普通にやっていることでした。
  が、その時、その手すりにごく近い席に座っている女性が、無意識にでしょうけれど、いかにも汚いものが来たかのように顔を背けて、体をそらされました。

 咄嗟に失礼しましたと言うと、先方も、普通の表情で会釈されましたけれど・・・

 ああ、これが日常になっちゃったんだなと思います。

 子どもの頃、エンガチョというのがありました。エンガチョ付けた、切った、切ったと言って、誰かにタッチした後、両手の親指と人差し指を丸めて輪にして、切った、切ったと言いながら、輪っか状態の両手を付けたり離したりするという遊びで、次の人にタッチしてエンガチョを付けられればいいのですが、誰もつける相手がいなくなったら、エンガチョ認定で、汚いやつとされてしまいます。

 単に鬼ごっこの感じで遊んでいるならいいのですが、そのうちにクラスの特定の誰かが、いつもラストエンガチョになると、これはもう立派ないじめでした。

 在籍したクラスでも、軽いいじめ傾向が出て来て、先生に注意されたか何かで、はやらなくなったようなおぼろげな記憶があります。

 あのエンガチョを唐突に思い出したのです。

 建前としては、自分も無症状感染者かも知れないから、他人に迷惑をかけてはいけないというのがありますけれど、深層心理に見知らぬ人は新型コロナ感染源かも知れないから、近づきたくない、触られたくない、触りたくもないがあるのだと思います。

 正直なところ、あまりに露骨に反応されたので、軽くショックを受けましたけれど、では、自分が逆の立場になったら、やっぱり思わずのけぞってしまうのではないかと思います。

 自粛警察なんて嫌な言葉が出て来ましたが、そこまでは行かなくても、知人の中にも、過度に感染を心配する人が出て来ていて、マスクもしない人がいたとか、至近距離でしゃべっていたなど、しょっちゅう言及しているのを見聞きすると、それは感染の危険性が高いかも知れないなぁとついつい思ってしまうところがあります。

 道を歩いている時にマスク無しにジョギングしている若い人と近づくと、歩道の出来るだけ端っこに寄ってしまうし、路肩でたばこを吸ってるおじさんを見ると、マスクもしないで、重症化リスク上げるたばこも吸ってて危ないじゃんという見方をしてしまう自分がいます。

 ごくたまに友だちと会う時もマスクを欠かせません。また、生協の商品の仕分けに出る時、一人だからいいやと思って、マスクをしないで出たら、ばったり同じ班のマスク着用の人と会って「マスクしないでごめんね」なんて謝る羽目になったりもします。

 ああ、エンガチョ、エンガチョ。

 今日はウルトラライトダウンのコンパクトジャケットを着なくてはいけないほど、時ならぬ寒さでしたから、マスク着用も全く苦になりませんでしたが、去年のような暑さの中、いかに冷感をうたっていても、マスクをしなくてはいけない生活は文字通り息苦しいです。

 ですが、対処薬やワクチンなどが確立して、新型コロナウィルスがインフルエンザ並みになるまでは、国民総エンガチョの体制が続くのでしょうね。

 早く切りたい、このエンガチョ!

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