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 と言うのは、SNSにアップロードしたこのエコバッグの写真をご覧になったコヅ友さんのコメント。

  それを見て、別のコヅ友さんがエコバッグなんだから、年季が入るのは当然と慌てて(?)フォローされたのですが、そこではたと気付いたやつです。
  そうかぁ、普通の感覚だと、見るからに年季が入ってるものは使わないのね、そして、新しいのを調達するのね。

  薄々、いや本当ははっきり気付いてはいました。

  ゴミ置き場にしばしばうちなら捨てないよレベルのものが出ていたり、おしゃれな友だちがこれはもうボロボロと言うのが私の基準では充分きれいだったり。

  先般刻んで家庭ごみに出した風呂のふたの如く、かなり見栄えが悪くなっても、使えるなら使ってしまおうなんです。

  他の事はともかく、ものは使える限り使おうという価値観は家人Aと共通ですね。(^^ゞ

  それぞれの両親が耕地を持たないサラリーマン家庭で、戦中戦後に極度のモノ不足を経験した、と言う共通点があると思います。

  だから私の育った家には昔からのものがたくさんありました。
家人Aの実家も同様。

  幸か不幸か、私の実家は高度経済成長期でも新しいものを盛んに買う購買力は無かったのですが、家人Aの実家は色んなものを一通り買えたようなのです。

  なのに、あまりのモノ不足を経験してしまったため、古いものや壊れたものでも手放せない、もったいなくて捨てられない!で来たようです。

  結婚した頃、義実家の軒下には錆びて到底乗れそうもない古い自転車が置かれていました。

  床の間も花一輪が映える場所ではなくて、キンキラの入った有田なんだか伊万里なんだか九谷なんだかよくわからん不気味な顔した福助さんとか、鹿角付の兜飾りとか付喪神になりそうなものたちが、時が止まったような状態で、今に至るまでひしめいています。(^o^;

 あの部屋で寝ろと言われたらお寺の本堂で寝ろって感じです💦

  そうそう、付喪神(つくもがみ)と言う存在があるくらいだから、日本人は昔から、物持ちの家はもの離れしなかったのかも知れませんね、あ、だからの物持ちか。(^^ゞ

  加えて、買ってはみたが使いこなせなかったらしい高度経済成長期のキッチン家電、持って行くように言われ、我が家に持ち込み、しばらく使ったけど、その後死蔵品に(;´∀`) 

  テレビや雑誌、片付け本を見ると、大正から昭和一桁生まれ、さらにその下くらいの高齢者が、モノの堆積を作りあげ、子世代を悩ます事が多いみたいですね。

  我が家は買いたがり&一度手にしたら手放さぬの家人Aの欲望は個人的持物に抑えてもらい、実家方式の捨てない&買わない方向で参りました。

  その結果が、一般的な目から見ると年季が入ってる大賞モノだらけという次第です。

  私が寝てる元二段ベッドの片割れなんて、この前の東京オリンピック以前からだし、食卓の補助に使ってる椅子2脚も同じく。

  結婚式の選べる引き出物から散々悩んで引き換えたちゃぶ台やワゴン、生協で調達の回転式ミニ書棚、家人Aが単身赴任先で入手した折りたたみテーブルと椅子と言った小家具以外は新しいものでも30年は経過してます。

  着るものも然り。

  ファストファッションと呼ばれる服ですら傷んでこりゃ限界となるまで着ますし、葬祭用なんて、流行など無視して、延々と使ってます。

  ちなみに冠婚用の服は現在ございません。その時が来たら、鎌倉の激安ブティックに駆け込み、それなりに華やかげなのを捕獲します。

  傘とか靴とかハンドバッグなどなど限界まで使うなぁ。

  繰り返しになりますが、年季が入ってる大賞もんばかりです。

  安物やそこそこのお値段の物は年季が入ると、時と場合によっては、非常にみみっちくなります。

  ですが、みみっちいからこそ、限界まで手放せなくなるのです。未使用品や程度の良いものなら、引き受け手も出ましょうが、みみっちモノは見向きもされない。

  付喪神にはせず、みみっちモノは私のもとで命を全うさせてやるのです。

  という妙な使命感もある昨今(^_^;)。

  年季が入ってても、みすぼらしくならないのが高級品なのでしょうねー。