祖母の日記の続きです。
 
 ひらがなが多く、くずし書きの部分もあるし、今と表記が違ったり、繰り返しが多かったりと、転記するのが結構疲れますが、当時のワサワサした雰囲気を伝えるためにはなるべく忠実に移すべきだとお思って、ほぼ「原文ママ」と本を読むと時々見ることのある注釈のスタイルです。

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 昨日は「少し落ち着いてから書いたものと思われます」と書きましたが、ページをめくっていたら、こんな文字が見つかりました。

 ちょうど震災から1週間後です。時間帯も最初の揺れからの大混乱が始まった頃を選んで書いているようです。少女だった祖母なりの、負の記念として、心に刻みたい思いがあったのかと想像します。

 また、1週間経つと、都内在住でも、家屋の倒壊・消失や家族の喪失などの悲劇を免れた人たちは、ノートに何かを書くくらいは出来るようになっていたというのも伝わって来ました。

 以下、昨日の続きです。

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 やんでから叔母さんは「おろうそくがなければいけない」とおっしゃったので女中と私はかけあしでかいに行ったけれどありませんといって賣ってくれない。

 ぐずぐずして又ゆれたらいけないと思って ひた走りに走ってかへった。

 皆はこまったろうそくがなければどうしませうと皆なきだしそうになった其の時 渡辺さんの女中がライオン薬局にろうそくが四十本程まだありますからとしらせてくれたので又もや二人はかけだした。

 そしてやうやく二十本程かってきた

 そろそろ暗くなったのでやはりうめぼしで晩食をすまして一畳に三人一しょになってねた。

 私よく六畳畳に十八人でねると云ふのをきいて居たが それは畳一枚にすれば三人のわけであるから丁度今と同じだと思ふとおかしくもあった

 どうかしたはずみにひょいと頭をあげてみると空は一面まっかで見るもおそろしい

 私はすこしもしらずにまあどこがこんな火事だらう位に思って居たが 思へばあの時に幾萬の人がひめいをあげながらうらみをのんでおしき命をすてたのである。

 火はだんだん強くなるのか空はだんだん紅にそまってくる

 夜中の二時頃私はいきくるしくなって來た

 あちらこちらで皆こんこんとせきをして居る

 私もたまらないやうになってきたので皆にきくと 叔母さんも女中も皆くるしくてたまらないとおっしゃる

 皆くるしいものでだれもねむらない 其のうちにうすらうすらと夜があけはじめた

 おおなんと云ふ気持ちのよい朝だらう

 叔父さんはお見舞いに出ていらっしゃった

 私は叔母さんとざうりを買いにいった

 いって見ると護國寺の垣の石が皆たほれて居るのにはおどろいた

 そして中には皆むしろをしいて人がねて居る
 
 私はチョコレート買ってきた。

 道で人の話をきくと 夜中で三百いくつの地しんがありましたと話して居るのにはおどろいてしまった。

 もううめぼしもあきたので ひるにはつくだにを買にいった 女中と二人でこわかった話しなどをして居ると 一人の男がきて坂下のこうばんの目の長家が今やけて居りますから御注意くださいといいに來 私共はびっくりしてかけあしでつけものやにまでいった

 そして火事のことを其へんにゐる人にはなすと そのへんに居た男共はそら大へんだいそげいそげとはだしで皆こうばんめがけてはしって居た

 私は大いそぎでかふと一目さんに家にかへった

 うちでは丁度雨がふって居た時なので、家根がわりにむしろをかけて中では叔母はぼんやりいすにこしかけて 和ちゃんは天使のやうな顔をしてねむって居た
 
 私は叔母さんたいへん、坂下町のこうばんの前がかじですって!

 叔母さんは「ほんとかね」とびっくりして外に出た

 すると齋藤さんの家のまわりに人が澤山居て 皆泣いて居るので 私と女中と二人はすぐいって見た

 すると中から男の泣聲がきこへて來て ああすまないすまない わしは十四人を黒やきにしてしまったあ・・・と云ふやうなことばがとぎれとぎれに泣聲と共にもれてくる
 
 私はびっくりしてそばに居る人にきいて見た

 するとその人は本所から逃げていらっしゃったのですって!

 そして親類の人十四はみな黒こげになったので その人は地面に穴をほって中に一日半はいっていたのですってねえ かわいそうに そうしてやうやう逃げてかへって我が子の無事な顔を見てうれしなきにないて居らっしゃいますの」と話してくれた 

 もう私は其のあわれな聲をきくにたへず 叔母さんの所に走ってかへった


 (続く)




※被災を免れたエリアでも、近所ではご親戚を失ったり、危うく一命をとりとめた方がいらした・・・東日本大震災の時にも、大変に辛い思いをされた方が大勢いらっしゃったのを思い出します。


蛇足メモ:

天使のような顔をして寝ている和ちゃんとは祖母の、多分最年少の従妹です。 

 この従妹が祖母が慕っていた叔母の面影が濃いのと、同じ横浜市内在住だったため、私自身も何度も会う機会がありました。学生時代のアメリカ・カナダ旅行の時、夫の企業留学でバンクバーにいた彼女の娘さん夫婦のドミトリーに泊まらせていただいたという思い出もあります。

 もしかしたら、祖母にとって和ちゃんは叔母の面影があるからだけではなく、幼いとは言え驚天動地の時を共にした同士的な気持ちもあったのかも知れないと想像します。

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