昨日、以前書いた、同期への献花の詳報メールが友人から届きました。

  同期会で新たに開いたというLINEグループの振込先が書かれた画面と共に、故人の奥様からの御礼のメールも添えられていました。

  ざっくり言って転送という事になりますが、奥様も「皆様によろしく」と書いておられますし、同期のLINEについては、友人自体が誘われているという事でセーフと思います。

(返信がてら尋ねたら、友人は私と同じくLINEやんねぇ主義者だそうで、どうやらスクリーンショット画面を同期が送って来た、それを添付してくれたらしいのです^_^;)
  奥様からのメールによると、昨年の台風15号発生時までは元気だったのに、急に痩せたので、医療機関にかかったら、いきなりステージ4の状態のがんが発見されたという事でした。

  25年前に亡くなった母も、検査に行ったらいきなり余命宣告を受けて、抗がん剤治療もものすごく辛そうで、最終的には積極的な治療はしないという判断をしましたが、同期の彼も同様の判断をしたようです。

 その際「これまでの人生十分幸せだったので、悔いはありません」と言いつつ、緩和ケアを選ばれたとの事。

 今の平均寿命を思うと、あまりに短いとはいえ、そんな言葉を言える人生を送れてよかったのだと思います。

  入退院を繰り返し、これはダメだという状態になった後、一命をとりとめて、看護師さんには「1文足りなくて、三途の川を渡れなかった。」と言われたとか。

  辛い時でもユーモアを忘れずにいたんだなと、じわっと来ます。

  あまりに突然の人生の急転直下、支える奥様のご心労はいかばかりだったかと思いますが、幸せな人生を送れたのを感謝して行ったのではないかと思います。 改めてご冥福をお祈りします。

  1983年の大韓航空機撃墜事件のとき、旧ソ連を旅行していて、事件のために、しばらくの間帰国出来なくなって、確かバイカル湖畔だかどこかで釣り糸を垂れていたと連絡があった彼。

 あの頃は今のようにメールもないし、国の体制による東側西側という区分もはっきりしていて、東側の国からの国際電話は掛けるのも大変だったように記憶していますが、帰国後、みんなで武勇伝を聞いたのも懐かしいです。

 今頃は天国でひょうひょうと楽しく過ごしているんではと思います。

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