東日本大震災から3年経ちました。

 あの日、二男の卒業式で、舞浜のテーマパークのオフィシャルホテルで華やかな雰囲気を味わっていました。

 駐車場料金が掛からないということもあって、ホテルの中をチェックしたりして、直ぐに出なかったこと、加えて、地理に不案内なため、交通標識の不明瞭な方向指示にしたがって、首都高の入り口にたどり着くのにかなりロスしてしまったのが、8時間ものドライブにつながってしまいました。

 揺れたのが、湾岸線の葛西あたりでしょうか。てっきりパンクしたと思った位のふらふらで、運転している夫に「パンクだ、パンクだ」と騒いだのですが・・・ゆるい下り坂の路面が波打っていました。

 多くの車が路肩に寄せ、幸いに、交通量も少なく、事故にもならずに済んだのですが、携帯の鉄塔がゆさゆさ揺れて、向こうから、黒煙と炎が見えました。お台場あたりかと思いましたが、後からコスモ石油の千葉の製油所が火元だったらしいと知りました。

 みんなが路肩に車を寄せている時でも、爆走して通り過ぎる車が数台ありましたが、彼らは首都高の通行止めの前に突破できたのでしょうか? それとも、大急ぎの結果、何か起きたのでしょうか?

 東京湾地下トンネルで通行止めになり、もしも、浸水したら最後だなと、恐怖を感じました。続きを読む