コガネムシのつぶやき

−甲斐小泉のドけち指南部屋ー ムダな事・モノは省いて、毎日を楽しく暮らしたい・・・

慰霊の日

3月10,11日は慰霊の日

  昨日は東京大空襲の日。

  戦時中、磯野浪平さん一家が住む界わいに暮らしていたと言う母、祖父母。大空襲だったのか、それ以前に頻々とあった爆撃だったのか今となっては確かめようもありませんが、都心爆撃の時に空が真っ赤になって、金襴の帯の模様が分かる灰がふわふわと飛んできたと言ってたのを毎年思い出します。

  建前では軍需工場などの爆撃という事になっていますが、実際は広島・長崎の原爆投下と同じく、多くの非戦闘員の方々が落命されたり、家族を亡くされたり、家を失ったり、悲惨な目に遭いました。亡くなられた方や悲しい思いを抱えながら鬼籍に入られた方々のご冥福をお祈りいたします。

  ウクライナで戦火が起きたのが、2年前の事になります。戦いは直ぐに収まって欲しいと思ったのにおさまらず、さらにパレスチナでの悲惨な状況まで加わり、平和と遠い世界なのが心が痛みます。

  戦争に何の意味があるの?誰か得するの?とついつい思ってしまいます。 続きを読む

1995年1月17日

  あれからもう29年も経ってしまったのですね。

  1995年の今日、阪神淡路大震災が起きて、その後地下鉄サリン事件が起こり、世の中が大変な事になった年でした。

  母が亡くなった年でもありました。

  29年前、家人Bはやっと就学した頃、家人Cはまだ園児だった時で、朝はとにかく気ぜわしく、敢えてテレビをつけない時期でした。

  突然、電話がかかって来ました。「テレビ見た。見てないの? すぐに見なさい」と母の声。悲鳴に近い声でした。

  すぐにテレビをつけたらテレビ画面には壊滅的な状態になった神戸の街が映っていました。

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あれから12年

  寝ている時に地震がありました。これは大きくなるのか?と思いましたが、幸いにすぐ止まり、都内は震度3だったそうです。

  あの日を忘れてはいけないよ、といわれているような気がしました。
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キルティングのロングコートを仕上げつつ、あの日を思う

  阪神淡路大震災から25年経ちました。

  去年も書いていますけれど、あの日の朝、バタバタしていて何も知らなかった私に電話をかけてきてテレビをつけるようにどやしつけた母の声を思い出します。

  実はあの朝、NHK山梨のローカル放送、確か5時台後半か6時台前半に祖母の人形のことを取り上げてもらっていました。事前に予定が分かっていたので、そちらのことしか考えていなかったのですが、実際にはもう地震が起きていた時刻だったかと思います。

  東日本ではまだ何が起きたかわかっていなかったのだと思います。もし分かっていたら、のんびりした趣のミニ特集など放映するどころではなかったでしょう。続きを読む

あれから24年

    今日は阪神淡路大震災が起こった日。

   当時はまだ子育て真っ盛り、テレビもつけずにバタバタ朝家事をしていたところ、母からの電話で、開口一番『テレビ付けなさい!』と怒鳴られ、慌ててテレビを付けたら、画面には空襲の直後のような煙を上げて燃える街が映し出されていました。
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くちびるに歌を

 東日本大震災から4年経ちました。今日は慰霊の日です。

 あの日は二男の学校の卒業式の日で、浮かれた気分でTDLオフィシャルホテルを後にした後、首都高速道路が波打って、その後、東京港地下トンネルで足止め後、首都高を下りるように指示された後、大渋滞。その間、電話は全くつながらず、ラジオを聞きながら、何か大変な事態になっている事を知り、8時間余り経って帰宅後に見たテレビ画面に言葉を失くした事を思い出します。

 首都圏に住んでいて、大震災の被害に遭われた方たちの事を忘れた事はありませんが、地震に対する備えがだんだん甘くなっている事に時々ハッとします。

 未だ、行方不明の方もおられ、生活の立て直しが出来ていない方もたくさんいらっしゃいますが、そういう方々が希望を失わなずに過ごせるようにと祈っております。

 こういう日なので、本当は「悼む人」の方がふさわしいのではないかというところでしたが、同行の友人は既に見ているという事で「くちびるに歌を」を見に横浜に行きました。続きを読む
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