子どもの頃、安寿と厨子王は実にかわいそうな話だと思ってました。山椒大夫は人でなしで許せない!とも。そして、思春期に蟹工船を読んで、資本家の悪逆に怒りを感じ、特高警察に虐殺された小林多喜二の事を気の毒に思いました。官憲の横暴ひどい!と思いました。

 そういう思いはみんな「あれは過去の事」「戦前の悪しき風潮」と言う対岸の火事でした。祖母から「幼なじみのきれいな顔をした少女は売られた」というのも、貧富の格差が大きい時代の話で、そういう悪風は、堅気の人間の前から消えたと思っていました。高度経済成長がそれを確信させてくれる時代でした。

 今、派遣労働者の雇い止め、ワーキングプア、失業、ローン破産等のニュースが毎日流れており、蟹工船が隠れたベストセラーになっているとの事。貧困ビジネスなんていう、労働者のみならず、生活保護、年金受給者をタコ部屋に押し込むタイプの詐欺的老人向け施設まで出現しているとの事。タコ部屋なんて死語になっていると思っていたのですが、劣悪な「寮」を用意し、寮費と称して法外なピンはねを行う業者も続出しているようです。

 テレビやラジオ、インターネットなどの報道があり、貧乏なのは出自が悪いなどという開き直った階級格差、諦め切った貧困と言う形ではなくなっていますが、経済成長が支えていた一億総中流がガタガタになっています。

 かつて介護は長男の嫁など、ごく一部の貧乏くじを引かされた主に女性のみの問題でした。医療の進歩と少子化により、誰もが親の看取りをしなくてはいけないし、自分の老いも考えなくてはいけない時代となりました。問題がオープンになったのです。

 私が子どもで気付かなかっただけで、高度経済成長期でも貧困や格差は存在してたはずです。ただ、一生懸命働けば義務教育を経ただけの人でも出世のチャンスはありましたし、出世しないまでも、十分な生活を出来る上、高等教育を受ければ、よほど不運でない限り、総中流の一員でも上の部類として、貧困を考えないでいられました(だからこそ、教育ママ、「お受験」なるものも出現し、今に至っているのですが)。問題はかつての介護と同じように、ごく一部に潜在したのが、今の時代、顕在化したようです。

 未曾有の事態かも知れませんが、これを機に、誰もが貧困や格差について真剣に考えるようになった・・・というのは、少人数の弱者に介護を背負わせて、知らぬふりをしていたのが、皆で共有しないといけない状況になったのと同じように、問題多発の中にも、プラスの部分があるのではないかと思います。

蟹工船・党生活者  /小林多喜二/著 [本]
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