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昨晩は友人宅にお邪魔し、心尽くしの夕食をご馳走になり、ご主人にホテルまで送っていただき、感謝感激。 今朝は友人がホテルに迎えに来てくれる9時頃までゆっくりしました。 午後2時台後半に豊橋の次は新横浜、実に一時間程で到着してしまうひかり号を発見。それに乗るべく、駆け足で案内して貰いました。 先ずは割と最近重文指定を受けたらしい聖ハリストス教会、日本人の棟梁によるロシア建築。白い壁に玉ねぎ風屋根が夏の青空に映えます。 単なる名所ではなく、現役の教会ですから、建物が生きている感じで、信仰心の篤さからでしょう。手入れが行き届いた小ぶりですが美しい建物でした。 その教会のすぐそばに由緒正しそうな神社安久美神戸神明社が有り、祀られていた等身大の赤鬼の活躍する厄除け神事が有名だそうです。  旧城址の公園を通り、市庁舎13階の展望台から街を見て、一級河川豊川に掛かる豊橋も見えました。 今や希少なチンチン電車に乗り、豊橋駅へ。 そこから飯田線で豊川へ。一、二両編成の短い列車で二十分程度で到着。駅舎は神社仏閣と縁遠い感じのモダンなけものですが、駅前は川崎大師駅前と似た雰囲気で、早速お稲荷さんへの参道案内、そして随所にちょいとコミカルな雰囲気のキツネ像。 土産物屋や飲食店の並ぶ参道の先に有るのが豊川稲荷でした。 ここで友人がシルバーボランティアガイドさんに案内をお願いし、大熱弁をお聞きしました。   暑いから、さわりだけの筈が張り切らて山門から鐘楼に行くまでで相当に時間が掛かったので、申し訳ないけれど、途中で失礼し、駆け足でかなり広い境内を拝観。   何でも過去の経験と照らし合わせてしまいますが、境内の雰囲気は善光寺に似ていました。 ともあれ、ボランティアガイドさんのお話で、へ〜っと驚いたのは、豊川稲荷はお寺であり、神社ではない、商売繁盛の神様ではない、という事でした。 とはいえ、稲荷の名前で売っている街ですから、お寺の表札は本当に小さいし、奥の方にある寄進によるおびただしいキツネ像が祀られている霊狐塚に至る小径にぎっしり立てられた幟に書かれた祈願は圧倒的に商売繁盛でした。 道元禅師の四大弟子に当たる開祖が宋からご本尊の千手観音を持ち帰る際、海難に遭い、あわやと言う時に出現し、守ってくださった荼枳尼天(だきにてん)を乗せていたのが狐であり、ご本尊の守り神がいつしか信仰の中心になってしまったとのお話でした。 そう言えば、畠中恵さんのしゃばけシリーズには、しばしば若だんなのおばあ様の縁で荼枳尼天のお名前が出て来ますね〜。 卍の刻まれた鳥居も有り、これは神仏混交を取り止めた明治以降に残された数少ないお寺の鳥居だそうで、有名な例では大阪の四天王寺の重文の鳥居があるそうです。 …………と、時間切れにはなりましたがとても勉強になりました。最後まで聞けたら、多分ランチタイムがなくなったかと思いますが、さぞかし勉強になった事でしょう。 山門に割と近いお店で地元名産の大葉を練り込んだサラダうどん+いなり寿司二個付のランチ、ありがたくもご馳走になりました。 豊橋駅に戻り、ホテルに預けた荷物を取りに行き、また駅に戻るまで、端から端まで友人が付き合ってくれて、あまつさえかさばらないお土産までいただき、恐縮至極。 猛暑続きであり、なおかつ帰宅した後の始末のため、体力温存をせねばで早めの乗車となりましたが、ギュッと凝縮した充実の一泊2日でした。 すごいお久しぶりの歳月はどこへやら。何のギャップも感じずおしゃべり出来て嬉しかったです。 彼女のもてなしの心は大いに見習いたいと思いつつ、再会を期してお別れしました。