234a3162.jpg 今日は実に暑い日でした。郵便局に行っただけで汗だく。木々のトンネルに入り人心地ついたものの、扇風機があればな〜、と思う時もありました。

終戦記念日で正午には黙祷しました。ちょうど昼食時間で食卓で座ったままで、となりましたが、いつも直ぐに食べ始める二男も殊勝に待っていたようです。

私はフォークソング「戦争を知らない子どもたち」の下の世代なのですが、そういう歌が歌われていた時代も知らない人たちが増え、戦争の風化を懸念します。

特に昨今の国民の間の経済力の格差、働いても働いても我が暮らし、楽にならざるや、と言う状況では、昨今の無差別殺人のようなゆゆしきヤケクソ犯罪だけではなく、戦争待望論が出て来るのを恐れます。

待望論をブチ上げるような気分にさせられた庶民こそが、戦争により最も重大な悲劇を迎え、最も重たい負担をさせられるのですから、そういう方向にたやすく誘導させられないように、自分の頭で考えるようにしないと危ないです。

生活者を持ち上げている(ように見せているだけと思われます)マスコミや産業界の言動に気をつけるべきです。

祖母が言っていた「気付いた時には戦争はどうしようもなく広がっていた」て言う言葉を思い出します。

戦争をしたら本当に得をするのは誰かをようく考えなくてはいけないと思います。おいしい思いが出来る庶民はほんの一握り。

その人たちの言動に騙されて、自分たちのみならず、敵とされる人たちに惨禍をもたらすべきではありません。


そんなことを考えつつ、今も新たな戦火が起こったばかりですが、平和の祭典とされるオリンピックを見たりして過ごした1日でした。