日ごろ生活していて思うのだが、主婦というのは結構なサービス業である。疲れて帰ってきた家族がほっと出来る場所を提供する事を求められており、専業主婦ですら、なかなかうまくやっていけないことが多い中、共働きの方のご苦労はお察し申し上げます。
それで、家族に向かってのサービスの場合、心からのねぎらいや感謝の気持ちで行うのがあるべき姿とは思うのですが、正直言って私の場合、文句言われたくないからという防衛の気持ちが先に立っています。子どもが私の対応ひとつでやる気が出なくなるかも知れない、なんてのも防衛の一種でしょうね。
外部で受けるサービスは公的なものから、私的なものまで、見える場合と見えない場合とありますが、金銭的な裏づけが(見えなくても、税金等、誰かのお金、あるいは我が家からの拠出で成り立っている)ありますが、それらのサービスでうたわれてる「もてなしの心」とか「利用者本位」(お役所系、福祉系で多発)ですが、それって、本当に本当にもてなしの心からなの? じっつは防衛策じゃないの?と思わされることって結構多いですね。
それで、家族に向かってのサービスの場合、心からのねぎらいや感謝の気持ちで行うのがあるべき姿とは思うのですが、正直言って私の場合、文句言われたくないからという防衛の気持ちが先に立っています。子どもが私の対応ひとつでやる気が出なくなるかも知れない、なんてのも防衛の一種でしょうね。
外部で受けるサービスは公的なものから、私的なものまで、見える場合と見えない場合とありますが、金銭的な裏づけが(見えなくても、税金等、誰かのお金、あるいは我が家からの拠出で成り立っている)ありますが、それらのサービスでうたわれてる「もてなしの心」とか「利用者本位」(お役所系、福祉系で多発)ですが、それって、本当に本当にもてなしの心からなの? じっつは防衛策じゃないの?と思わされることって結構多いですね。
一番それを感じてしまうのは、やっぱり教育の現場。直ぐに教育委員会に怒鳴り込んだりする親がいたり、モンスターペアレンツみたいな怪しからん親がいたという恐怖の実績もあったのかも知れませんが、学校側の防衛的な対応には疑問を感じる事が多々ありました。
私の子どもの頃までは、先生も保護者と本音で話をしてくれる方が多かったように思いますが(もちろん、その時代から事なかれの先生もいらしたのは事実です)、今の時代、当たり障りなく、非難されなようにと先回りする(せざるを得ない)先生が多いように思います。例えば、一部保護者の「毎日出せ」という要望に応えての学級通信執筆。その時間があるのなら、もっと子ども一人ひとりを見て欲しいといいたくなった事あります。これなんぞは、典型的な「文句を言われるのはいや」(敢えて強い言い方をすれば、そういう要求を出す保護者を説得するのが面倒とも^^;)だからとしか思えません。
お役所系の「文句言われない前に」は色々な事件等で、極端に揺れ動くのを見ても分かりますね。例えば、何か公務員の不正を指摘されると、そこまでしては志気が低下する部分まで、福利厚生的なものを削ってみたり、一度事故があると、皆が楽しみにしていて、安全上の配慮されているものでも一律に廃止、中止したり・・・。
一般のサービスでも同様の傾向は見られます。文句を言われないレベルに・・・という典型がマニュアル商法。だから、心が伴わない、口先だけという場合が往々にしてあります。
サービスを受けて、気持ちいいなぁと思う場合、公私を問わず、もてなしやねぎらいの心が先にあるように思います。一方、何か居心地の悪さを感じさせる場合、防衛的なものが基礎にあって、あるいは「やってあげてます」という恩着せがましさをチラつかせてというのもあります。
もてなしか、防衛策か・・・自分の場合を考えても、実に難しいと思います。ひとつだけ分かっている事は、お友だちに対して「防衛」を優先したら、その人はお友だちではなく、単なる知り合いという事でしょうね。また、何かしても、お金をいただける訳ではなく、しかも利害関係を一にする事の多い家族や親戚間でこそ、もてなしの心の発揮は難しいと思います(逆に言うと、介護関連ではよく言われるように、他の人たちに比べ、大変な思いをする家族、親戚には何らかの見返りが必要だという事でしょう)。
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私の子どもの頃までは、先生も保護者と本音で話をしてくれる方が多かったように思いますが(もちろん、その時代から事なかれの先生もいらしたのは事実です)、今の時代、当たり障りなく、非難されなようにと先回りする(せざるを得ない)先生が多いように思います。例えば、一部保護者の「毎日出せ」という要望に応えての学級通信執筆。その時間があるのなら、もっと子ども一人ひとりを見て欲しいといいたくなった事あります。これなんぞは、典型的な「文句を言われるのはいや」(敢えて強い言い方をすれば、そういう要求を出す保護者を説得するのが面倒とも^^;)だからとしか思えません。
お役所系の「文句言われない前に」は色々な事件等で、極端に揺れ動くのを見ても分かりますね。例えば、何か公務員の不正を指摘されると、そこまでしては志気が低下する部分まで、福利厚生的なものを削ってみたり、一度事故があると、皆が楽しみにしていて、安全上の配慮されているものでも一律に廃止、中止したり・・・。
一般のサービスでも同様の傾向は見られます。文句を言われないレベルに・・・という典型がマニュアル商法。だから、心が伴わない、口先だけという場合が往々にしてあります。
サービスを受けて、気持ちいいなぁと思う場合、公私を問わず、もてなしやねぎらいの心が先にあるように思います。一方、何か居心地の悪さを感じさせる場合、防衛的なものが基礎にあって、あるいは「やってあげてます」という恩着せがましさをチラつかせてというのもあります。
もてなしか、防衛策か・・・自分の場合を考えても、実に難しいと思います。ひとつだけ分かっている事は、お友だちに対して「防衛」を優先したら、その人はお友だちではなく、単なる知り合いという事でしょうね。また、何かしても、お金をいただける訳ではなく、しかも利害関係を一にする事の多い家族や親戚間でこそ、もてなしの心の発揮は難しいと思います(逆に言うと、介護関連ではよく言われるように、他の人たちに比べ、大変な思いをする家族、親戚には何らかの見返りが必要だという事でしょう)。