最近、やっと気付いたのですが、私たちはしばしば、相手にとって「それがどうした?」と言う話をしているし、したがります。

 例えば、仕事の手柄話、自分や子どもの学校の自慢、あるいは趣味の話などなど、様々に・・・甲斐小泉の節約ネタも「それがどうした?」と思う方は多いのではないでしょうか?

 まぁ、ネットや紙に書かれた、あるいは印刷された文章など、こちらが主体的に選べる場合ならば「それがどうした」と思ったら、接触をやめれば良いんですよね。(→半ば言い訳!? (^^ゞ)



 現実に出会う相手の場合、誰が相手でも、100%まるまる納得できて、共感できる話だけは出来ないと思うし、そういう話をする相手とめぐり合うのはまず不可能でしょう。必ずや何かしら「それがどうした?」という部分はあると思うのですが、その多寡によって、人と人の相性は決まるんだろうなぁと思います。

 私はブランド物は興味がないので、ブランドの話ばっかりされると「それがどうした?」と言いたくなります。が、そういう人は私のオーガニックだのフェアトレードだのの話は「それがどうした?」かも知れませんね〜。

 普通の人は「それがどうした」と思っても言いませんし、また、大概の人は相手がうんざりするほどの量で「それがどうした」の話はしないものです。

 が、中には相手をうんざりさせても分からないケースも・・・。
 これは私も気をつけなくてはと思うのですが、特に正論とされる論に於いてはその傾向が強いですね。

 お説教が大好きなタイプがよくやらかす「それがどうした」。おっしゃっておられることは誠にご立派でございます。誰が聞いても逆らえない。(親孝行しよう、頑張ろうなんてものから、環境、自然保護、健康などなど、色々あります。そりゃ、大切なのは分かります、だからこそ、相手がとうとうとまくし立てられると、もぉ、何ともしがたくて・・・^_^;)

 「それがどうした」と言えないからこそ、心の中にくすぶるものがあります。

 「それがどうした」が積み重なる相手というのは、どうしても遠ざけたくなります。だって、いっしょにいても楽しくないもんね〜。私の場合、決して悪い人じゃないとわかってはいるけれど、どうしても苦手になる相手って、「それがどうした?」とた〜っぷり思わせてくれる人のようです。

 お互いにプチプチ「それがどうした」をやっている限りにはお互い様だから、まぁ、平和ですが、特に上下関係があったり、年齢的なものなどから、一方的に「それがどうした」を振りまかれると・・・辛いですね〜。

 そういうタイプは敬して遠ざけるに限りますが、職場がいっしょとか、親戚だったりとか、切ってしまっては食うに困ったり、切りたくても切れない相手の場合もままあるかと思います(実は私もあるんですわよ〜^_^;)。

 そういう時は心の中で「それがどうした」とブツクサ言って、相手に流されない事、うまく逃げる事でしょうか。

 相手によっては、たまには口に出して「それがどうした?」という意味合いの事を言ってしまうのも手かも知れませんね・・・と思いながら、まだ一度も言った事ないんですけど、いつか言ってしまいそうだぞ〜。秒読み中だわ〜。5、4、3、2、1・・・・「それがどうしたっ!」


 実は最近、ある人から、私も「それがどうした」を時々連発していると知らされました(汗)。でも、教えてくれて感謝していますよ。相手にTOO MUCHに「それがどうした」と思われるような発言をしないようにしなくちゃ!と反省しました。(^^ゞ   まぁ、それが空気を読むって事なんでしょうね。

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