空白の4日間何をしていたかというと・・・・実は長男と京都で合流、関西空港から台北に行ったんです。事前に堂々と発表出来なかったのは、そもそも祖母の具合がいま一つと言われていて、ドタキャンを怖れていた上、それこそ土壇場になって、義父が心不全気味で緊急入院で、最後まで無事に旅立てるか危ぶまれたからなんです。

2009年12月17日関空

 日ごろの行いが悪いから宙ぶらりん? いえいえ、日ごろの行いが良いから無事に行けたという事にしときましょ(笑)。

 集合時間が朝の7時45分という関空という遠隔地である事を考えたらめちゃ早いので、前泊を致すことなり、もしかして、今回の旅行で1番割高だったのはこの部分かも? ネットで探したのですが、素泊まりでツインで10600円もした日航ホテル関空でした。修学院離宮を見終える頃にはヘロヘロ状態で、京都の伊勢丹の上階で夕食をして、ちょうどいいやでお値段考えずに乗り込んだJRの特急「はるか」。これもお高かったですわ。あまりに欲張るのは考え物ですね。でも、修学院良かったですが。

 
 ここでひとつポイントを!

★関空のクレジットカードのラウンジは使い物にならない!!!!

 今まで羽田での経験から、カードラウンジは結構ゆったりと過ごせると思って、カードなしの長男の分1000円を払って入ることにしましたが・・・これが1000円捨てた状態でした。(;_;)

 席の確保が厳しい状態。それに飲み物にビールのおつまみ程度の個包装の柿の種などがある程度。羽田では朝はクロワッサンなどちょっとおなかが膨らむものがあったし、席もゆったりだからと思ったのですが、関空のラウンジがこんなに狭いとは夢にも思いませんでした。

 あくまでも無料で利用できる人が利用したらよいので、身銭を切る価値は0でした(ホテルより何よりもこれが1番割高の無駄遣いだったかな〜)。

 もうひとつポイント。これは海外旅行慣れしている人には常識でしょうけれど、事前学習を長男に任せ、新婚旅行の後、全く海外旅行経験が無かったもので、うっかり。

★お金は現地で交換すべし!

 空港から市内までのマイクロバスに添乗してくれた日本語学習奮闘中の気のいい劉さん(劉さんが沢山いたツアーでした)によると「台湾のお金、誰も欲しがらないから、こちらで換えたほうがいいよ」との事。JALマイレージが付くし、レートを良くするというチラシを貰った某地方銀行ですが、現地で換えるのに比べ、割高についてしまいました。

 さ〜て、前ふりが長くなりましたが、ホテルに荷物を置いた後(チェックインは3時からと書いてありましたが、早めに入れてもらえました。フロントで「お金を追加するといい部屋にチェンジできる」と言われて、一瞬心が動いたのですが、やっぱりいいやとやめまして、ごめんなさい。閑散期なんでしょうかねぇ)、早速出かけたのがここ!!

2009年12月17日台北のスタバ 

 台北にはやたらとスタバが多いのみならず、カフェが多いのです。台北の人は珈琲好きなんだとか。長男はスタバでバイトをしているのですが、自ら進んで搾取されているアホでして(笑)、スタバのマグやタンブラーをコレクションしてるのです。お土産も現地の柄入りの長男いわくぼったくりのスタバグッズ。

 それとありがたい事に日本が大好きみたいですね。私たちがそれと知らずに超危ない英語をプリントしてあるTシャツを着ていたりする事があるように、怪しい日本語が印刷してある商品が結構多いです。

 それにダイソーも無印もプラザもある。特に驚いたのはダイソー。日本でのダイソーは店舗によっては失礼ながら、雑然としていてよく言えば庶民的、悪く言えばしょぼさが漂う構成になっている場合も多いのですが、すっきりとしたディスプレイとレイアウトで、雰囲気はちょっとした高級店。お値段も39元という事で、現在の換算では105円を越えちゃうんですね〜。

 さて、夜は有名なお店で小籠包を食べるのですが、名古屋、成田、関空と3箇所から出発したJALツアーの合計9人、年代もチーム構成も様々で、最初は全然会話もせずにし〜んとしていたのですが、途中から少しずつ会話をするようになり、結構いい雰囲気になりました。

2009年12月17日士林夜市


 食後、有名な夜店が並ぶ士林という地区に行きましたが・・・う〜む、私の年代ですと、ほのか〜に記憶がある戦後の闇市やマーケットが元になった古めかしい商店街を思い出しました。夜になればなるほど元気な、という感じで活気がありましたが、ひとつショックだったのは、小雨模様の歩道でピコピコ動いている黄色いビニール袋が・・・

 今年タイ旅行もした長男が「また物乞いだ」と言ったのですが、はいつくばって指のない右手を道路に差し出して、あごを小刻みに動かしてお辞儀らしき事をしている姿は人間としての尊厳がみじんも感じられず、見ていて痛々しかった。

 日本でもある年代まで傷痍軍人という事で、足や手のない方たちが(本当に傷痍軍人であり、無理矢理徴兵されながら戦後は国籍が違うという事で何も補償がなかった元の植民地の方という場合と、ニセの傷痍軍人だったというケースと両方あると聞きました)上野とか渋谷駅などの繁華街にいて、大概一人が「美しき天然」をアコーディオンで奏で、もう一人が途中で断ち切られた四肢を支えにして物乞いをしていました。見ていて、それは辛い気持になったのですが、あの頃の事を久しぶりに思い出しました。

  しかも、彼らの場合と違って夜市の前の物乞いは本当にベッタリ地面にくっついているのです。雨に備えてビニールを被っている事、小銭を入れて貰うための皿を用意している事などから職業にしているのでしょうけれど、マフィアにそうさせられているのか、それとも福祉が貧困でそうしているのか・・・夜回りの警察官も見て見ぬふりをしているようですが、他の部分が豊かで明るいだけにすごいギャップでした。精神的にきつい光景で、私のエゴかも知れませんが、楽しい気分に水をさされる光景、何とかして欲しいと思いました。

 あともうひとつ、ガイドブックではみかけなかったのですが、台湾のトイレ、トイレットペーパーを流せません。そばに置いてあるゴミ箱に使用済みの紙を入れなくちゃなんです。これにはビックリ。

 そして・・・台湾は暑いぞと聞いていたので、寒い京都を回るのにいったい何を着て行くべきか、さんざん悩みつつ、でも、寒いのイヤだ!で真冬の格好をして行ったのですが、ちっとも邪魔になりませんでした。何てたって暖房はないのです。湿気が強いからと冬でもエアコン。寒い! お蔭でヘビーな冬服が全く邪魔にならなかったのはありがたいことではありましたが・・・。

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