旅の疲れで寝坊したい土曜日。しかし・・・誰かが「6時に起こして欲しい」というものですから、しっかり起きて、家事にいそしみました。起こして欲しいと言った当人は1時間も掛けておきてくる始末で、あったま来たぞ〜!
何となく効率が上がらずボサボサと動いていたのですが、午後になって、帰宅した長男がポストの中身を持ってきた。
あやっ、見たような字。アメリカから。年に1,2度だけしかお手紙交換していないけれど、長年のペンフレンドのおじ様からのレターかなぁ?と思って開封したら、違う。
娘さんからで、本文はタイプで打ってある。
おおっ、ついに来たか・・・
何となく効率が上がらずボサボサと動いていたのですが、午後になって、帰宅した長男がポストの中身を持ってきた。
あやっ、見たような字。アメリカから。年に1,2度だけしかお手紙交換していないけれど、長年のペンフレンドのおじ様からのレターかなぁ?と思って開封したら、違う。
娘さんからで、本文はタイプで打ってある。
おおっ、ついに来たか・・・
正直なところ、おじ様がお亡くなりになったお知らせかと思ってしまったのです。何しろ今年はやたらと葬儀が多かったものですから・・・ついつい。
でも、全然違う内容でした。びっくりはしたのですが、嬉しいビックリ。
それは彼女の息子さんが日本女性と結婚して、10月初頭に正式な結婚式をするので参列するために来日するから、あなたやご家族と会いたいという内容でした。
うげ〜〜〜〜! 私、元々得意でもなかった英語、最早すっかり忘れてる〜。
彼女は私と同い年。今を去る事○○年前、学生だった私の初めての海外旅行先、アメリカはミシガン州の彼女のおうちで会った事があります。
そもそもは生まれ故郷の横須賀の、今は中央図書館が建っている場所にあったというかまぼこ兵舎状態の官舎に住んでいた在日米軍(当時は、多分、駐留軍って感じだったのでしょうね)の軍人さんのご家庭でした。
アメリカ留学から戻ってきた父が英語を忘れたくないと、勇敢にも官舎のドアを叩いたのですが、先方だって、敵国だった国の市民の中に混じった場所にある家だから、ギョッとしたでしょうね。
初代の住民と両親、兄は一緒に日光に行ったり、身振り手振りで一緒にケーキを焼いたり、それは楽しいお付き合いをしたそうです。質素な暮らしなのに、子ども達はピシッとアイロンの掛かった服を着て、しつけが厳しくて・・・戦時中は鬼畜米英と言われていたアメリカのよき市民の暮らしを見て、母はすっかりファンになったみたいです。
その後任の方というのがペンパルのおじ様一家。残念ながら、滞日がそう長くなかったそうですので、一緒に旅行に行ったりという事はなかったようですが・・・母とそこの奥さんとはほぼ同時期におめでた。ある日、奥さんがおなかを指差して2本の指、ツーツーと言うので、双子を懐妊されたと分かったそう。生まれた男女の双子のうち、女の子が手紙をくれた彼女なのです。
で、それよりちょいと遅れて生まれたのが私という訳で・・・つまり、彼女と私は同い年。しかし、早く結婚した彼女の息子さんは我が家の息子より大分大きいようです。交換留学生として1年間北九州にいたこともあり、日本語が結構堪能で(そこを読んでほっ!)、日本を愛しているそうです。
キティ・ホークの乗組員してるから、一度会ってやって欲しいとおじ様の手紙には書いてあり、こちらのメールアドレスなど知らせたものの、その先がなくて、失念しておりました。
お母さんの生まれ故郷、横須賀に住んでるのかぁ〜。こないだ横須賀の軍港めぐりをしましたが、その時にどっかですれ違っていないとも限りませんね。
京都では「柴洋」で日本びいきの外国人と日本女性というカップルを見ましたが、彼らもそんな感じなのかなぁ?
10月初旬に横浜でディナーで会いたいとの事。う〜む、こういう時はどうしたら良いのかな? あちらからのご招待と見て良いのかしら? しかし、折りしも、今はものすごくきっつい円高ドル安の時期。ご招待としたら、すごい負担だろうし・・・しかし、ダッチアカウントにしてくれというのも変だし・・・・どうしたら良いものでしょうね?
でも、全然違う内容でした。びっくりはしたのですが、嬉しいビックリ。
それは彼女の息子さんが日本女性と結婚して、10月初頭に正式な結婚式をするので参列するために来日するから、あなたやご家族と会いたいという内容でした。
うげ〜〜〜〜! 私、元々得意でもなかった英語、最早すっかり忘れてる〜。
彼女は私と同い年。今を去る事○○年前、学生だった私の初めての海外旅行先、アメリカはミシガン州の彼女のおうちで会った事があります。
そもそもは生まれ故郷の横須賀の、今は中央図書館が建っている場所にあったというかまぼこ兵舎状態の官舎に住んでいた在日米軍(当時は、多分、駐留軍って感じだったのでしょうね)の軍人さんのご家庭でした。
アメリカ留学から戻ってきた父が英語を忘れたくないと、勇敢にも官舎のドアを叩いたのですが、先方だって、敵国だった国の市民の中に混じった場所にある家だから、ギョッとしたでしょうね。
初代の住民と両親、兄は一緒に日光に行ったり、身振り手振りで一緒にケーキを焼いたり、それは楽しいお付き合いをしたそうです。質素な暮らしなのに、子ども達はピシッとアイロンの掛かった服を着て、しつけが厳しくて・・・戦時中は鬼畜米英と言われていたアメリカのよき市民の暮らしを見て、母はすっかりファンになったみたいです。
その後任の方というのがペンパルのおじ様一家。残念ながら、滞日がそう長くなかったそうですので、一緒に旅行に行ったりという事はなかったようですが・・・母とそこの奥さんとはほぼ同時期におめでた。ある日、奥さんがおなかを指差して2本の指、ツーツーと言うので、双子を懐妊されたと分かったそう。生まれた男女の双子のうち、女の子が手紙をくれた彼女なのです。
で、それよりちょいと遅れて生まれたのが私という訳で・・・つまり、彼女と私は同い年。しかし、早く結婚した彼女の息子さんは我が家の息子より大分大きいようです。交換留学生として1年間北九州にいたこともあり、日本語が結構堪能で(そこを読んでほっ!)、日本を愛しているそうです。
キティ・ホークの乗組員してるから、一度会ってやって欲しいとおじ様の手紙には書いてあり、こちらのメールアドレスなど知らせたものの、その先がなくて、失念しておりました。
お母さんの生まれ故郷、横須賀に住んでるのかぁ〜。こないだ横須賀の軍港めぐりをしましたが、その時にどっかですれ違っていないとも限りませんね。
京都では「柴洋」で日本びいきの外国人と日本女性というカップルを見ましたが、彼らもそんな感じなのかなぁ?
10月初旬に横浜でディナーで会いたいとの事。う〜む、こういう時はどうしたら良いのかな? あちらからのご招待と見て良いのかしら? しかし、折りしも、今はものすごくきっつい円高ドル安の時期。ご招待としたら、すごい負担だろうし・・・しかし、ダッチアカウントにしてくれというのも変だし・・・・どうしたら良いものでしょうね?