年の瀬でもあり、年齢的なものもあるのでしょうね。この頃、ポツポツ色々な事を考えます。
今朝、洗濯物を干しながら、ふと思ったのは・・・
今まで色々な本(主に啓蒙系やビジネス系、スピリチュアル系など)で目にして来た事が、自分の頭の中にすっと落ちてきたというか、ああ、こういう事かと納得行ったと言うか・・・
今朝、洗濯物を干しながら、ふと思ったのは・・・
今まで色々な本(主に啓蒙系やビジネス系、スピリチュアル系など)で目にして来た事が、自分の頭の中にすっと落ちてきたというか、ああ、こういう事かと納得行ったと言うか・・・
それは、人が幸福を求めて得られないのは何故?という事。
今朝、はたと気付いた答えは・・・・彼、または彼女の求める幸福が、誰かの犠牲の上に得られるものである場合。
例えば、あくどい商売だったり、利益享受のための無為な争いをしかけたり、もっと卑近な話では、会社や家族と言った組織の中で、自分は良いが、誰かに一方的に我慢を強いたりするような場合・・・要するに、その人は金銭的なものや、表側から見える名誉とか、あるいは自分の欲望が満たされる事を、自分の幸福の物差しにしているという事なのでしょうね。
たとえ、一時的に幸福感を得ても、誰かの犠牲があるという事実は、いくらたたき伏せて見ても、密かに彼、または彼女を蝕んでいくものかと思われます。
自分は鬼畜だ、だから人の不幸や悲しみはなんとも思わないと豪語する人だって、その事を認識しながら行う時点で、既に幸福とは縁遠い世界に足を踏み入れてしまっているはず。
そこまで酷いレベルにならなくても、世の中、えてして、誰かに我慢をさせている事に気付かずに、自分の幸福感、満足感を優先している事は多いものと思われます(自戒も込めて)。
おめでたい状態でいる間は幸せかも知れませんが、そのめでたさを支えるために我慢していた人の堪忍袋の緒が切れる日は必ずやって来る事でしょう。
となると、薄氷の上を歩むような、もろい幸福に過ぎません。
色々なところで「人様のために」とか「情けは人のためならず」と言われる理由はそこなのよね〜。周囲がハッピーであってこそ、自分も本当にハッピーでいられるという事。
エゴイスティックな幸せは周囲を不幸にしたり、不満足な状態にし、ロングスパンで見ると、結局、あなたの足を引っ張ってしまう。
・・・・と言う事をつらつら考えてしまったのです。字面で読んで、分かっていたつもりでも、いま一つピンと来ていなかったのが、なぜか今朝はピンと来ました(笑)。
熟年離婚とか、会社内造反のようなことは、我慢に我慢を重ねた側の爆発の例なのだと思います。
今朝、はたと気付いた答えは・・・・彼、または彼女の求める幸福が、誰かの犠牲の上に得られるものである場合。
例えば、あくどい商売だったり、利益享受のための無為な争いをしかけたり、もっと卑近な話では、会社や家族と言った組織の中で、自分は良いが、誰かに一方的に我慢を強いたりするような場合・・・要するに、その人は金銭的なものや、表側から見える名誉とか、あるいは自分の欲望が満たされる事を、自分の幸福の物差しにしているという事なのでしょうね。
たとえ、一時的に幸福感を得ても、誰かの犠牲があるという事実は、いくらたたき伏せて見ても、密かに彼、または彼女を蝕んでいくものかと思われます。
自分は鬼畜だ、だから人の不幸や悲しみはなんとも思わないと豪語する人だって、その事を認識しながら行う時点で、既に幸福とは縁遠い世界に足を踏み入れてしまっているはず。
そこまで酷いレベルにならなくても、世の中、えてして、誰かに我慢をさせている事に気付かずに、自分の幸福感、満足感を優先している事は多いものと思われます(自戒も込めて)。
おめでたい状態でいる間は幸せかも知れませんが、そのめでたさを支えるために我慢していた人の堪忍袋の緒が切れる日は必ずやって来る事でしょう。
となると、薄氷の上を歩むような、もろい幸福に過ぎません。
色々なところで「人様のために」とか「情けは人のためならず」と言われる理由はそこなのよね〜。周囲がハッピーであってこそ、自分も本当にハッピーでいられるという事。
エゴイスティックな幸せは周囲を不幸にしたり、不満足な状態にし、ロングスパンで見ると、結局、あなたの足を引っ張ってしまう。
・・・・と言う事をつらつら考えてしまったのです。字面で読んで、分かっていたつもりでも、いま一つピンと来ていなかったのが、なぜか今朝はピンと来ました(笑)。
熟年離婚とか、会社内造反のようなことは、我慢に我慢を重ねた側の爆発の例なのだと思います。