鉄子を名乗るのはおこがましい状態の極小鉄子の私、少々鉄子の友人と夏にオープンした鉄ちゃんの殿堂、原鉄道模型博物館に行って来ました。

 少年の面影を残したままの原信太郎氏の人となりは、オープン間近のミニ特集などで紹介されていましたが…………

 一言で言ってしまえば、とてつもないボンボン育ちです。

 何しろ、時の総理大臣の月給に肉薄する金額の玩具を本物を大事にするのがポリシーのおばあ様からポンと買って貰えたと言うのですから、まぁ、驚いた!

  いかに原少年に情熱と手先の器用さ、粘り強さがあっても、同年代の庶民が丁稚奉公に出されたり、何里の道を歩き学校に通わせて貰っていた時代に、一番切符を買うために改札で並ぶ、乗って楽しむためだけに鉄道を利用するような事が出来たのはド金持ちだからこそ(慶応に幼稚舎から通った氏の学生時代に父上が亡くなられても、大学に進学出来たという事実も経済的余裕綽々の家庭だった事を物語っています)。
  しかし、成金趣味には堕さず、鉄道関係を追い求め、それを家族もバックアップして、小学生時代から、その年齢にはとても思えぬ模型を作り始めます。

  関東大震災の時、四歳で握りしめた玩具の車両も展示されていましたから、本当に三つ子の魂何とやらですね。

 傷痍軍人として戦局が悲惨になる前に除隊出来たのも幸運だったのでしょう。原さんと同世代は多くの方々が戦争で命を奪われていますから、ついつい、昨夏の赤レンガ倉庫並びに上田市の無言館で見た、戦没画学生の事を思い出してしまいました。

 戦後、コクヨの社員として、当時は珍しい海外出張をし、ここでも鉄道と接し、更に更に鉄ちゃん度を高めて行かれました。

 コクヨの副社長が義兄さんだったという説明付きの写真も展示されていましたから、一般社員よりも大目に見て貰える特典がおありだったとは思いますが、時代も良かったのでしょうね。

 日本経済は右肩上がりで、今みたいに経費節減やら、株主への利益還元などなど、いろんな制約が少なく、出張に絡めての余暇も有りだった(経済低迷気味と言われた時期にOLしてた私ですら、出張の時に、祇園祭の山鉾巡行やらポートピアを見たり出来ましたわ(^^ゞ)、寛容な時代でしたから。

 趣味を極めて、私設博物館を作り、更に横浜駅から徒歩圏に自らの姓を冠した立派な博物館が出来、平日なのに多くの人が訪れている………本当に幸せな方だと思います。

 トンネル開通記念の一番切符の発売日に海外出張が入り、今度こそ無理とあきらめたら、奥様が頑張って、出張から帰って来たら、パパへのプレゼントと欲しがった切符を渡された、なんてエピソードも有り、また、子どもたちを連れて、一家でヨーロッパ鉄道の旅を楽しまれるなど、ご家族にも恵まれて、まさに鉄ちゃんオブ鉄ちゃん、憧れの存在でしょう。

今みたいに誰もが手軽にデジタル機器を使えない時代に音声を拾えない撮影機を使っての海外の列車の様子もスクリーンコーナーで見られますが、その解説を聞いていると、鉄ちゃんじゃなかったら、ちょっと困ったチャンに思われる程の打ち込み方です(笑)。よくちょっと見ただけで、あんなに型式が分かるなぁと極小鉄子は感心しちゃいます。本格的鉄ちゃんならば当然なのでしょうね。

 とにかく、原氏の図抜けたボンボンぶりに驚いてしまいましたが、ボンボンなればこその没頭。遊蕩に明け暮れて(昨日の歴史秘話ヒストリアでは、水戸黄門が昔は遊郭通いしまくっての困ったチャンだったと言ってましたから、遊蕩に明け暮れて堕落しまくる人ばかりじゃないようではありますが)、ジェットコースターを下るばかりの人生を過ごす人もいますが、原氏はそれで言うと、正しいボンボンですね。

 友人とも話したのですが、平等、公平は大事だし、今みたいな経済格差、大きな貧富の差はよろしくないとは思うけれど、図抜けたお金持ちがいないと文化というのは成り立たない面があるんですよね。

 原氏の図抜けた鉄ちゃん力に驚いたので、展示品からたどれるその人生を書いてしまいましたが、もちろん、展示されている模型の精巧さは素晴らしい。全力趣味で、余暇を費やされたのでしょうけれど、早いうちから文字通りの素人離れをしていて、注目の的だったようです。一部という事ですが、ずいぶんたくさんの車両があり、ヨーロッパ、アメリカ、日本の物が色々と揃っていました。

 オークションで競り落とした模型などもありますし、今は見かけなくなったけど、私は実物を見て育っている列車の運転席についていたハンドルなども展示してありました。

 そして、圧巻はいちばんテツモパークと名付けられた大ジオラマ。山あり、谷あり、大都会あり、田舎ありで、朝から夜まで光の具合で表情を変えるジオラマを見ているだけでも楽しいのですが、線路の上は蒸気機関車から、貨物車、ビスタカー付きの観光路線の車両、そして、何とロープウェイまで動いているのです。ガタンガタンという音も模型とは思えぬ臨場感があります。自動車が走っている部分もあるんですよ。

 とにかく楽しい。

 私はここぞとばかり、フィギュア観戦用に奮発した、小型8倍双眼鏡を持って行きましたので、隅にある小高い台の上からそれを使ってみると、いや〜、すごいすごい!



 ちなみに、3倍位らしい、プラスティック製のコンパクトな双眼鏡は無料で貸してくれますよ。

 そして、最後のコーナーには突っ込みどころがある陸蒸気が走っていた時代の横浜と今の横浜をミックスしたジオラマがあり、そこはもう少し小さめの列車が走っています。桜木町駅部分はリアルですわ〜。

 ふだんは写真撮影禁止なんですが、鉄道の日記念特別企画で、1日から14日まで、毎日16時から18時までの限定2時間で、いちばんテツモパークの写真撮影が出来るそうで、その時間までいられたら良かったのに・・・・私たち、ず〜っと立ちっぱなしは疲れるお年頃だし、お腹は空くし・・・それは本格的マニアの方にお願いしたいと思います。(今、現在はこのページに詳細が載っています。期限が切れたら削除されると思いますが)

 とにかく平日なのに、人が絶えないですし、シニア中心とは言え、幼児連れも結構いらしていて、立ちっ放しが疲れたお父さんが帰ると言うと、やだやだやだ!と泣き声をあげている坊やもいました(なぜか、圧倒的に男児ばかり。将来の鉄子ちゃんは見かけませんでした)。

 博物館が入っている横浜三井ビルは横浜駅から楽々徒歩圏ではありますが、若干遠いし、出てきたら1時半になっていたので、数多くない飲食店も混んでいなくて良かったです。特にプロントは博物館半券提示で10%オフという嬉しい企画をやっていたので、そこでパスタでランチ。飲み物つけて702円で済ませました。ヽ(^o^)丿

 三井ビルと周辺はこんな景色です。三井ビルの前に立っている赤銅色のオブジェ。幼児体型なんですが、何を意味してるんだろう?

横浜三井ビル


三井ビルそばの運河


 おしゃべりを楽しんで、そごう地下で解散しました。友人はデパ地下。私はユザワヤでパーツ購入。とっても楽しい1日でした。



 素晴らしい展示を見終えて、またしても、ガラクタとお宝の違い(特に、こういう趣味の場合、紙一重な部分があります)がどこから来るかなどと考えてしまいました。熱意に加えて色々な意味での余裕・・・この両方を持つボンボンってのはトップになれる素地があるんだなぁと思います。


 そこで、最後に無理やりのオチ(観戦用のてのひら双眼鏡なんて持って行ったからそっちの連想が働いたってのがありますが)。原氏の経済力に恵まれたボンボン具合とは全く違いますが、色々な意味で環境に恵まれないと続けて行けないフィギュアスケートの世界で、両親が選手で周囲に恵まれ、子どもの頃から力まずにスケートを続けて来られた小塚選手は、フィギュア界ではボンボンのジャンルに入ると思うので、必ずやトップになれます!(^_-)

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