昨日はご近所で八ヶ岳ボケから社会復帰(?)の初日でした。
今日はもう少し遠方に出ました。
昼過ぎから、戦場のエンペラーを見ました。
地元紙、木曜日の映画評は結構辛口でしたが、覚悟の上、戦後史のお勉強に見たかったのです。
興味があったのは、セット。予告編では、皇居、二重橋などが映っていましたが、実写? 合成?
今日はもう少し遠方に出ました。
昼過ぎから、戦場のエンペラーを見ました。
地元紙、木曜日の映画評は結構辛口でしたが、覚悟の上、戦後史のお勉強に見たかったのです。
興味があったのは、セット。予告編では、皇居、二重橋などが映っていましたが、実写? 合成?
映画はエノラ・ゲイ号が広島に向かうシーンから始まります。上空から爆弾投下、猛烈な勢いで盛り上がるキノコ雲。日本人には辛い光景です。
場面は直ぐ切り替わりますが、この直接、攻撃側が手を汚さない、一見、無造作な殺戮シーンは、後ほどの近衛さんの「欧米列強を手本に、確かに残虐行為も行った日本だが、なぜ欧米列強は裁かれず、日本は裁かれるのか」という静かな抗議に繋がっています。
そして、有名なマッカーサーが厚木飛行場にコーンパイプにサングラスで降り立つシーン。
そこに出た日付を示す文字を見て、ああ、私って、マッカーサーが厚木に降り、その横柄そうな態度に日本人が衝撃を受けた日の周年記念日と言うか、軍国主義魂の終焉の、言わば命日に生まれたんだ!と改めて思いました。
物語は十日間で、天皇訴追を不要とする証拠を集めよ、と言われたマッカーサーの部下、フェラーズの奮闘を描いています。
天皇を戦犯として裁き、処刑したいと言うアメリカ本国の世論に対し、マッカーサーは天皇に対する扱いひとつで、占領政策は瓦解しかねないと理解し、同僚から日本びいきと揶揄されるフェラーズを任にあたらせるのですが、フェラーズはかつて愛を交わした日本女性がいて、個人的に与えられた日本人通訳に、その女性、あやを探させます。
マッカーサーはもちろん、フェラーズも、尋問を受ける日本人高官も実在の人物ですが、あややその父、鹿島という軍人は物語をふくらませるためのフィクションです。ただ、実際のフェラーズの行動に誰かと密かに接触している節があったようです。
このフィクション部分に対し、結構辛口評価が多いみたいですね。
確かに、あの時代にあやみたいな娘が存在出来たのか?などなど疑問は湧き、不自然感はつきまといますが、あのエピソード抜きだと、単なる再現ドラマになってしまうのも事実です。
水曜レディースデーですが、結構多くのシニア割引でいつでも千円で見られそうな方々が多かったです。
とはいえ、彼らも私と同じく、戦争を知らない、あるいは実感出来なかった世代ではないでしょうか? そして、親世代から聞かされた話をリアリティを伴って再確認したかったのないではないでしょうか?
昭和天皇を頂点に、政治家、軍人、天皇側近と分けられ、実際の人物写真がピンナップされたマッカーサーの執務室。戦犯とされた東条英樹や、後日自決してしまう近衛文麿、天皇側近の木戸、関屋など、少数のみが俳優により演じられています。
母は東京府立第一高女で、東条さんの娘を見知っていたそうですが、決して、高ぶったところもなく、普通の人だったようです。
戦争は許されないし、東条さんをはじめ政府高官や軍人に非がないとは、絶対に言えませんが、デスバイハンギングという判決は、戦勝国の驕りによる部分も大きかったことと思います。
法学部の学生として、東京裁判を傍聴したという父が、あれは報復で、とても裁判とは言えないと言っていたことを思い出しました。
インドのパル判事が日本無罪論を述べたのも、建て前は戦勝国ですが、かつて欧米列強に踏みにじられた母国を思っての事だったのでしょうか?
大河ドラマの八重の桜で、本来は尊皇だった会津が、いつの間にか朝敵とされ、ドラマ言の中では、西郷さんの口から、はけ口としての攻撃対象にするしかないという言葉が出ましたが、いつの時代でも、勝者は敗者に対して理不尽です。
最後に、本作のタイトル(原題はエンペラー)の天皇とマッカーサーの有名な二人並んだ写真の撮影に及ぶシーンが出て来ますが、大柄なマッカーサーの隣の、顔はもちろん、写真さえまともに見ることが叶わなかった現人神の小柄な、有り体に言ってしまえば貧相な姿に、敗戦を強く実感した、と母が語っていたのを思い出しました。
我が子たちには昭和天皇の記録はあっても、記憶はありません。
私の知っている昭和天皇は、いつも背後にもやもやした戦争責任を抱えながら、時には、主に戦後に180度変わった教育を受けた世代から揶揄されるも、おおむねちょっとお気の毒な雰囲気を漂わせ、独特な抑揚で開会宣言などをされる好々爺でした。
という訳で、この映画、私にも戦後史の視覚優位なおさらいになりました。
先ほども書いた通り、東条英樹を是とは言いません。だけど、戦争のきっかけを作ったのは、彼をはじめとした戦犯だけでは無く、表舞台に出ず、あるいは既に去り、責任を問われずに済んだ者もいるでしょう。
今、危うい方向に走り出しそうな日本。歴史に学ばない政治屋の威勢の良い言葉に乗せられ、とんでもないことになっても、今、煽っている人たちは、恐らくは、いや、絶対に責任なんてとりませんよ!
いろいろと考えさせられる作品でした。
関屋さんを演じられた夏八木勲さん、印象深い映画、希望の国にもご出演でしたが、もういらっしゃらないのですよね。最期まで病を感じさせない演技は、松田優作さんにも勝るとも劣らんプロですね。改めてご冥福をお祈りします。
皇居、二重橋辺りは実写、セットが明らかなGHQの第一生命本館など、エンドロールを見ると、ニュージーランドのようです。ニュージーランド、すっかり世界のロケ地ですね〜。
終演後、友人が来てくれて、お茶を楽しみました。社会復帰上々!(^O^)
場面は直ぐ切り替わりますが、この直接、攻撃側が手を汚さない、一見、無造作な殺戮シーンは、後ほどの近衛さんの「欧米列強を手本に、確かに残虐行為も行った日本だが、なぜ欧米列強は裁かれず、日本は裁かれるのか」という静かな抗議に繋がっています。
そして、有名なマッカーサーが厚木飛行場にコーンパイプにサングラスで降り立つシーン。
そこに出た日付を示す文字を見て、ああ、私って、マッカーサーが厚木に降り、その横柄そうな態度に日本人が衝撃を受けた日の周年記念日と言うか、軍国主義魂の終焉の、言わば命日に生まれたんだ!と改めて思いました。
物語は十日間で、天皇訴追を不要とする証拠を集めよ、と言われたマッカーサーの部下、フェラーズの奮闘を描いています。
天皇を戦犯として裁き、処刑したいと言うアメリカ本国の世論に対し、マッカーサーは天皇に対する扱いひとつで、占領政策は瓦解しかねないと理解し、同僚から日本びいきと揶揄されるフェラーズを任にあたらせるのですが、フェラーズはかつて愛を交わした日本女性がいて、個人的に与えられた日本人通訳に、その女性、あやを探させます。
マッカーサーはもちろん、フェラーズも、尋問を受ける日本人高官も実在の人物ですが、あややその父、鹿島という軍人は物語をふくらませるためのフィクションです。ただ、実際のフェラーズの行動に誰かと密かに接触している節があったようです。
このフィクション部分に対し、結構辛口評価が多いみたいですね。
確かに、あの時代にあやみたいな娘が存在出来たのか?などなど疑問は湧き、不自然感はつきまといますが、あのエピソード抜きだと、単なる再現ドラマになってしまうのも事実です。
水曜レディースデーですが、結構多くのシニア割引でいつでも千円で見られそうな方々が多かったです。
とはいえ、彼らも私と同じく、戦争を知らない、あるいは実感出来なかった世代ではないでしょうか? そして、親世代から聞かされた話をリアリティを伴って再確認したかったのないではないでしょうか?
昭和天皇を頂点に、政治家、軍人、天皇側近と分けられ、実際の人物写真がピンナップされたマッカーサーの執務室。戦犯とされた東条英樹や、後日自決してしまう近衛文麿、天皇側近の木戸、関屋など、少数のみが俳優により演じられています。
母は東京府立第一高女で、東条さんの娘を見知っていたそうですが、決して、高ぶったところもなく、普通の人だったようです。
戦争は許されないし、東条さんをはじめ政府高官や軍人に非がないとは、絶対に言えませんが、デスバイハンギングという判決は、戦勝国の驕りによる部分も大きかったことと思います。
法学部の学生として、東京裁判を傍聴したという父が、あれは報復で、とても裁判とは言えないと言っていたことを思い出しました。
インドのパル判事が日本無罪論を述べたのも、建て前は戦勝国ですが、かつて欧米列強に踏みにじられた母国を思っての事だったのでしょうか?
大河ドラマの八重の桜で、本来は尊皇だった会津が、いつの間にか朝敵とされ、ドラマ言の中では、西郷さんの口から、はけ口としての攻撃対象にするしかないという言葉が出ましたが、いつの時代でも、勝者は敗者に対して理不尽です。
最後に、本作のタイトル(原題はエンペラー)の天皇とマッカーサーの有名な二人並んだ写真の撮影に及ぶシーンが出て来ますが、大柄なマッカーサーの隣の、顔はもちろん、写真さえまともに見ることが叶わなかった現人神の小柄な、有り体に言ってしまえば貧相な姿に、敗戦を強く実感した、と母が語っていたのを思い出しました。
我が子たちには昭和天皇の記録はあっても、記憶はありません。
私の知っている昭和天皇は、いつも背後にもやもやした戦争責任を抱えながら、時には、主に戦後に180度変わった教育を受けた世代から揶揄されるも、おおむねちょっとお気の毒な雰囲気を漂わせ、独特な抑揚で開会宣言などをされる好々爺でした。
という訳で、この映画、私にも戦後史の視覚優位なおさらいになりました。
先ほども書いた通り、東条英樹を是とは言いません。だけど、戦争のきっかけを作ったのは、彼をはじめとした戦犯だけでは無く、表舞台に出ず、あるいは既に去り、責任を問われずに済んだ者もいるでしょう。
今、危うい方向に走り出しそうな日本。歴史に学ばない政治屋の威勢の良い言葉に乗せられ、とんでもないことになっても、今、煽っている人たちは、恐らくは、いや、絶対に責任なんてとりませんよ!
いろいろと考えさせられる作品でした。
関屋さんを演じられた夏八木勲さん、印象深い映画、希望の国にもご出演でしたが、もういらっしゃらないのですよね。最期まで病を感じさせない演技は、松田優作さんにも勝るとも劣らんプロですね。改めてご冥福をお祈りします。
皇居、二重橋辺りは実写、セットが明らかなGHQの第一生命本館など、エンドロールを見ると、ニュージーランドのようです。ニュージーランド、すっかり世界のロケ地ですね〜。
終演後、友人が来てくれて、お茶を楽しみました。社会復帰上々!(^O^)