友人に付き合ってもらい、映画「少年H」を見ました。

  先週見た「終戦のエンペラー」と時代が重なります。

  エンペラーはロマンス添加の歴史再現ドライの趣で、戦勝国から見た戦争の凄まじさを語っていますが、少年Hは戦争の虚しさ、自分の頭で考えようとしないことが何を招くのかを、声高にではなく語っています。
  
  原田泰造さんが演じた戦前は聖戦の名を借りて、いじめを行い、戦後はたちまち変節し、かつて目の敵にしていた左翼思想に喝采するような、典型的な権威依存型はもちろん、岸部一徳さんと國村隼さんが演じたインテリととっつぁんの凸凹コンビだって、表立って意地悪ではなく善良な庶民ですが、疑心暗鬼の世相では、自分の中で濾過しないままの噂、伝聞を広めていたに違いなく、最も良心的な庶民であるHの父親ですら、根拠無き拘留、拷問と言った愚行を伴い吹き荒れる嵐の中、ただ過ぎ去るのを待つしか無くなるのです。

  お父さんの「いつか戦争が終わった時、恥ずかしい人間になっとったらあかんよ」という言葉は、実際は恥ずかしい人間になった者が、とくに小さいとは言えども権力を持っていた者たちに多かったと言う史実の中で重たいです。

  一介の職人ながら、国際都市神戸のテーラーであり、妻が熱心なクリスチャンで家族で教会通いしていたH一家は、日本人のあらかたが大本営発表に浮かれている時分から、戦争の本質を見破り、先を見通せた一家でした。

  仲良しのいっちゃんの密告で父親が特高の取り調べを受けたり、机に嫌がらせの落書きをされたと憤るHに、お父さんは淡々と言い聞かせ、Hといっちゃんが仲直りする海辺のシーンは印象的でした。

  そんな良心的な人間すらが、積極的に戦争に加担しなくとも、結局は大政翼賛に加担せざるを得なくなる、戦後の一時、Hに罵られる程の無気力に陥ったお父さんの心情が察せられます。

  こう書いていると重苦しい、人間不信に陥りそうな場面ばかりに思われますが、子どもらしい愉快な場面もありますし、クリスチャンのお母さんの人類愛に満ちながら、しばしば天然な言動にホッとさせられたりもします。

  もうひとつ印象的だったのは、居留地の顧客に頼まれてお父さんが引き受けた繕い物。持ち帰りの市電の中で異臭を放ち、顰蹙を買ったそれらの衣服は、遠くヨーロッパからナチスを逃れて来たユダヤ人たちの物でした。

  おそらく日本のシンドラーと呼ばれた杉原千畝さんが関わっておられた話ではないでしょうか?


   戦争がいかに愚かしく、非人間的なものか、戦場に行かなくとも、音楽の楽しさを教えてくれたうどん屋の兄ちゃんが捕まったり、妖艶な舞を見せていた男姉ちゃんが首を吊ったり、大事な時間、身近な人たちを失うことで、子どもにさえ伝わっているのです。


   それなのに、今また威勢の良い好戦的な言動を聞くようになり、指示する人たちもいることに強い懸念を感じます。