実家に通う途中にあるので、実家がたたまれて以来、とんとご無沙汰していた市立歴史博物館から、寄贈品を展示するとお知らせをいただき、友人を誘って見に行くことにしました。
お友だちとどこかへ、はランチも楽しみ♪
少し前の地元紙で、ヘルシー、エコロジー系で、福祉ともつながりがあるピロシキ専門店がイートインもやっているというのを載せていたので、そこ、行きましょう!となりました。お店の名前はバブーシカです。
お友だちとどこかへ、はランチも楽しみ♪
少し前の地元紙で、ヘルシー、エコロジー系で、福祉ともつながりがあるピロシキ専門店がイートインもやっているというのを載せていたので、そこ、行きましょう!となりました。お店の名前はバブーシカです。
揚げないピロシキだそうで、いろいろな種類がありました。さすがに利用したい気分になれない気候ですが、屋外テラス席もありました。店内席は窓に面した日だまりのカウンター席と奥まった四脚の椅子のあるスペースのみのこじんまりした、居心地の良い雰囲気です。
ボルシチと好きなピロシキひとつで550円か700円。飲み物はセルフで、好きなのを飲めます。ソーサー無しのカップはWedgwoodをはじめ、おしゃれなものがいろいろで、選ぶ楽しみもありました。
生活クラブ生協のこだわり厳選材料を使っているお店なので、中流以上のインテリ層が多いという会員さんのお宅から供出されたカップかも知れませんね。
ピロシキはサクッ! 私は醤油味のエスニック風のとあったかボルシチ。友人たちも銘々好きなピロシキを選び、楽しくいただきました。
その後、博物館へ。私とひとりの友人はリピーターですが、都内、市内のふたりの友人たちはお初。立派な博物館だと感想。
今回は企画展が目当てでして、横浜って
日本史で、幕末まではしがない漁村だったという説明がなされるけど、それは港部分の話で、市域の広い部分が、ついこの間まで農村や山林だったというのがよく分かる展示です。
電車からおりたら駅前から東急グループに献金状態(失礼!)と化しているたまプラーザだって、今、デパートあるところで、盆踊り出来たし、ヨーカドーは植木屋さんだったんだよ。ちょっと小高い丘に上れば緑いっぱいで、かなたに読売ランドの観覧車が見えていたのも今は昔(^0^;)。
私がそんなたまプラーザに暮らし始めた頃には、今や大住宅地となった横浜北部にも農村らしさが随所に残っていたもので、と過去の話だと思っていたら、おっとどっこい、まだ講と言われる地域のつながりが残っている場所もあるようで、現役の資料もありました。○○講様宛てに、阪急百貨店の領収書が切られている資料にはビックリ!
昔からの年中行事の資料の中で、新興住宅地に来た人たちがもたらした新しい行事ってのがありまして、そこに寄贈した家計簿とクリスマスツリーが展示されていました。
懐かしい、懐かしいツリーです。私の子ども時代はもはや歴史の一幕なのね。
家計簿には万年筆で書かれた母の字てしたが、開かれたページにあった衣服費、くつした、くつに添えられたラビという文字、多分、学芸員さんには意味不明だったと思いますが、うるうるしちゃいました。
歯が出てるのと、自分のウサギ好きとあいまって、私の幼児時代のあだ名はラビットを略してラビちゃんだったのです。母が小さな私にそれらのものを買ってくれた記録なんだな〜と思うと、横須賀の家の情景や、クリスマスのことなど、思い出されました。
展示の中には地域の行事を如実に覚えておられ、それを丁寧な図画とされている方から借りたものもありましたが、私よりかなり年上と思われるその方も、きっとお母さまやご家族のことをしみじみと思い出しながら描かれたのだろうなぁと思いました。
うるうるの後は常設展示に移動。こちらはじっくり見ると見応えがあるのですが、時間の関係で、博物館の屋上から行ける大塚歳勝土(おおつかさいかちど)遺跡を通って、都筑区民家園に行きました。
よくぞ移築保存してくれましたの立派な茅葺きの邸宅です。
太い梁や柱の磨かれた空間に、カラフルキュートなつるし雛や折り紙雛などがとても映えます。シンプルでものの少ない日本家屋ならばの清々しい美!(ここで、小塚君ファンとしては、どうしても彼のスケーティングと日本家屋の美しさを重ね合わせてしまうのですが(笑))
ほかでは困る困るの連発てすが、ここでは雪のいっぱい残る風景は風情がありました。
博物館の半券があるとモザイクモール阪急の観覧車に一回無料で乗れる!という特典期間なので、いい年こいたオバハンたちが喜び勇んで駆けつけたら、あーら残念! 雪のせいなんだか点検で休業。そこで、もう一度ピロシキのお店に寄って、今度はカスタードクリーム入りとかティラミス風など、おやつ系ピロシキでお茶してから帰りました。
夜6時からは、パソコン前に張り付いて、崇彦さんのインタビューが入るニッポン放送の番組を聴いて、本当に好青年じゃ!と思いました(うちは電波障害地域で、AMラジオまともに聞こえませんが、radikoなるサイト経由で聴くことが出来ました。これも崇彦さんファンの方々からの情報のおかげで感謝です)。
という次第で、朝から晩まで楽しい1日でした。
ボルシチと好きなピロシキひとつで550円か700円。飲み物はセルフで、好きなのを飲めます。ソーサー無しのカップはWedgwoodをはじめ、おしゃれなものがいろいろで、選ぶ楽しみもありました。
生活クラブ生協のこだわり厳選材料を使っているお店なので、中流以上のインテリ層が多いという会員さんのお宅から供出されたカップかも知れませんね。
ピロシキはサクッ! 私は醤油味のエスニック風のとあったかボルシチ。友人たちも銘々好きなピロシキを選び、楽しくいただきました。
その後、博物館へ。私とひとりの友人はリピーターですが、都内、市内のふたりの友人たちはお初。立派な博物館だと感想。
今回は企画展が目当てでして、横浜って
日本史で、幕末まではしがない漁村だったという説明がなされるけど、それは港部分の話で、市域の広い部分が、ついこの間まで農村や山林だったというのがよく分かる展示です。
電車からおりたら駅前から東急グループに献金状態(失礼!)と化しているたまプラーザだって、今、デパートあるところで、盆踊り出来たし、ヨーカドーは植木屋さんだったんだよ。ちょっと小高い丘に上れば緑いっぱいで、かなたに読売ランドの観覧車が見えていたのも今は昔(^0^;)。
私がそんなたまプラーザに暮らし始めた頃には、今や大住宅地となった横浜北部にも農村らしさが随所に残っていたもので、と過去の話だと思っていたら、おっとどっこい、まだ講と言われる地域のつながりが残っている場所もあるようで、現役の資料もありました。○○講様宛てに、阪急百貨店の領収書が切られている資料にはビックリ!
昔からの年中行事の資料の中で、新興住宅地に来た人たちがもたらした新しい行事ってのがありまして、そこに寄贈した家計簿とクリスマスツリーが展示されていました。
懐かしい、懐かしいツリーです。私の子ども時代はもはや歴史の一幕なのね。
家計簿には万年筆で書かれた母の字てしたが、開かれたページにあった衣服費、くつした、くつに添えられたラビという文字、多分、学芸員さんには意味不明だったと思いますが、うるうるしちゃいました。
歯が出てるのと、自分のウサギ好きとあいまって、私の幼児時代のあだ名はラビットを略してラビちゃんだったのです。母が小さな私にそれらのものを買ってくれた記録なんだな〜と思うと、横須賀の家の情景や、クリスマスのことなど、思い出されました。
展示の中には地域の行事を如実に覚えておられ、それを丁寧な図画とされている方から借りたものもありましたが、私よりかなり年上と思われるその方も、きっとお母さまやご家族のことをしみじみと思い出しながら描かれたのだろうなぁと思いました。
うるうるの後は常設展示に移動。こちらはじっくり見ると見応えがあるのですが、時間の関係で、博物館の屋上から行ける大塚歳勝土(おおつかさいかちど)遺跡を通って、都筑区民家園に行きました。
よくぞ移築保存してくれましたの立派な茅葺きの邸宅です。
太い梁や柱の磨かれた空間に、カラフルキュートなつるし雛や折り紙雛などがとても映えます。シンプルでものの少ない日本家屋ならばの清々しい美!(ここで、小塚君ファンとしては、どうしても彼のスケーティングと日本家屋の美しさを重ね合わせてしまうのですが(笑))
ほかでは困る困るの連発てすが、ここでは雪のいっぱい残る風景は風情がありました。
博物館の半券があるとモザイクモール阪急の観覧車に一回無料で乗れる!という特典期間なので、いい年こいたオバハンたちが喜び勇んで駆けつけたら、あーら残念! 雪のせいなんだか点検で休業。そこで、もう一度ピロシキのお店に寄って、今度はカスタードクリーム入りとかティラミス風など、おやつ系ピロシキでお茶してから帰りました。
夜6時からは、パソコン前に張り付いて、崇彦さんのインタビューが入るニッポン放送の番組を聴いて、本当に好青年じゃ!と思いました(うちは電波障害地域で、AMラジオまともに聞こえませんが、radikoなるサイト経由で聴くことが出来ました。これも崇彦さんファンの方々からの情報のおかげで感謝です)。
という次第で、朝から晩まで楽しい1日でした。