朝ドラ「マッサン」。今朝は主人公マッサンのきつ〜いお母さん、スコットランドから来たヒロイン、エリーにきつい言葉を数々投げつけていたその人が、周囲に感謝の言葉をかけ、エリーにお詫びを言いながら、旅立って行きました。
 
 涙無くしては見られませんでした。

 このお母さん、早苗さん、いまわの際に、自分は家を守る事ばかりを考えて来た、本当は男として生まれたかったのに、蔵にすら入ることが出来なかったと思いを述べました。いつか、女性も活躍できる時代が来るだろうとも。

 朝ドラには絶対的悪人はほぼ出てこないのですが、時々、ものすごい強烈キャラが出て来ます。早苗さんを演じた泉ピン子さんが俳優として大開花した、かの「おしん」でも、ヒロインをいじめる強烈なお姑さんが出て来ましたし、記憶に新しいところでは、元日婚が話題になった杏さんと東出さんが夫婦役を演じた「ごちそうさん」の小姑、和枝さんなどもいます。

 早苗さんにせよ、和枝さんにせよ、憎まれ役覚悟で、ずばずばヒロインに、そこまで言うか? 酷い!と聞こえる言葉を投げかけますが、それでも、視聴者から心底憎まれない、ある意味、愛されるのは、勿論、虚構の世界ゆえというのもありますが、彼女たちの、心根の底に、1本筋が通っているからでしょう。

 ずばずば言っていることの中身には、なるほどと思わされる事もあって、単に人の足を引っ張ったり、意地悪のための意地悪じゃない、例え、直ぐにはわからなくても、後日分かって行くからこそ説得力があるのです。そして、彼女たちは自分の言動をしっかり覚えている。だからこそ、感動の和解や別れのシーンにつながったり、表向き張り合っていながら、相互理解が出来て、漫才のような軽妙なやり取りに発展したりもするのです。

 ところがですね〜・・・・・・・・・(^^;)
 現実社会では、ここまでの人はなかなかいらっしゃいません。

 憎まれ役を貫くというのは、信念がいるんですよね。そして、周りからも呆れられたり、嫌われたりしてもいいと言うスタンスを続けるというのは、フツーのに人にはなかなか、いや、かなり難しいと思います。


 こういう確固たる信念を持った憎まれ役を思う時、私はある種の真逆の困ったチャンも思い浮かべます。

 無自覚、無信念の暴言、失言満載の困ったチャンたちです。相手が嫌がるようなことでも率直に言うのは良い事、親しいから言ってもいいというスタンスらしいです。特に目下に対しては容赦がない。相手が傷ついているのに全然気付きません。

 あろうことか、たまりかねて、やっとの事で相手が指摘すると「あ〜ら、私そんな事言ってないわよ」「俺は絶対に言ってない」「記憶にございません」などなど、と開き直るという以前に、全く覚えていない様子。これでは、言われた側は、言われて傷つき、次に嘘つき呼ばわりされて、二重に傷つきます。

 普通の神経の持ち主でしたら、先ず暴言、失言を慎もうと努力すると思いますし、もしも、相手から指摘された時(学生時代や、新社会人時代位までならともかく、そのあと、指摘するというのはよほどの事です)、仮に思い出せないとしても、ごめんなさい、そんな事言ったのか、今度から気をつけますとなると思うのですが、困ったチャンたちにはそういう発想はないようです。

 私は正しい、私が間違った事を言うはずが無い

 このスタンスでは、反省無しですから、延々と同じ事を繰り返す。相手はますます気持ちが離れる。ところが、本人は全然気付かない。

 ですから、とうとう相手の堪忍袋の緒が切れて、言い返したり、リベンジを始めた時、困ったチャンは思います。

 私は被害者、何て可哀想な私。悪いのは私に「意地悪」を言ってる方に決まっている・・・・窮鼠猫をかむ状態で発せられたかも知れない相手の発言も、困ったチャンからしたら「不正な言葉」「意地悪」としてしか捉えられません。

 あげくの果てに、目下などの、自分を通しやすい人間相手に、延々と「被害」を愚痴ったりします。困ったチャンにはこういう時に話を聞いてくれる友人がほぼいなくなっていますので、つかまった人はいい迷惑ですが、聞かされる側は、内心こう思っています。

 「そこまで相手に言わせたあんたが悪い!」
 「身から出たさびじゃないか」
 「なんで、別の時には被害者でもある私が、あんたの愚痴を聞いてやらなくちゃいけないんだ」
 「この愚か者め」
 「こいつとは冠婚葬祭の付き合いだけでも多すぎる位だ」 etc.

 そういう思いを困ったチャンに伝える事は、肉親ならばありうるかも知れませんが(しかし、肉親が言っても聞かなかったからこそ、困ったチャンになったのでしょう)、他人が伝える事は最早レアでしょう。なぜなら、心の中で絶縁している相手に、不快な言い争い、不毛な言い争いになるかもというリスクをとってまで、伝えるのは大損だからです。

 困ったチャンたちは、早苗さんや和枝さんと違って、憎まれ役と思われても構わんという気概やしっかりした考えはなく、その場の思い付きで、相手を傷つける事を無自覚に言っているので、実は小心者であるのも特徴です。小心者の分、刑法犯罪を犯す可能性は低いようですが、困ったチャンの言動により心理的に酷く痛めつけられた場合、「いっそ犯罪者になって、檻に入ってくれ〜」と思っている人もいるかも知れません。(-_-;)

 小心者だからこそ、実は相手からの逆襲にはめっぽう弱いようです。被害者意識満載ですから、うじうじグダグダ悩んで、寝られないなどと言いだしたりする。ほとんどぜ〜んぶ自分で種を撒いているんですけどね。

 なお、暴言・失言系の信念無き困ったチャンの場合、会話のキャッチボールが出来ず、自分の主張だけを延々と繰り返し、特に目下と見なした相手の口は絶対に挟ませないなどの特徴を持つことも多いです。話の内容は、自分や身内の自慢系が多く、他人の話題は下げる系が多く、聞くに値しない、時間の無駄になる事が殆どです。何しろ、人の不幸は蜜の味。いや〜な見下し感が漂う上、自分や家族が1番偉くなくてはいけないため、絶えず賞賛や感謝の言葉を求めるので、実にウザいです。
 
 しかも、そもそもの自分の暴言という礼儀知らずは棚に上げて、相手の礼儀には異様にうるさかったりもします。結局のところ、一見プライドが高く自信満々のようで、深層心理では自信がないのでしょうね。

 当事者でなければ、滑稽な程ですが、当事者となると、この手の手合いは本当に厄介です。

 困ったチャンが困ったチャンである所以は、ごく浅い付き合いの段階では、人当たりが良かったり、結構いい人に見えるところです(何しろ、自分が被害者になりたい人ですから、当初は嫌な面は見せません)。

 第一印象のイメージで、付き合いを深めて行った時に、思いがけぬやけどを負う訳です。

 この手の困ったチャンが、職場や学校にいる時は、いち早く、単なる知人、あいさつ程度の付き合いに戻るべきですね。職場や学校という場では、困ったチャンが先生や上司にすり寄るのがうまい(第一印象や外面が良いので、結構、そういう傾向があるようです)としても、被害を共有している人も多いので、簡単とは言えないまでも、離れていく事は出来ると思います。

 困ったチャンが困るのは、なかなか切れない関係、場所にいる時。

 中には困ったチャンの本質を知らず、表面的なところだけ見て、いい人だと思っている人もいたり、例外的に崇拝している人もいるので(困ったチャンの押し出しの強さや、仕切りたがりぶりを頼もしいと思う人や、肉親愛から現実を直視できない、あるいは自分も同じ困ったチャン傾向が強いため、欠点として認識出来ない人もいる)、すんなりと離れるのが難しいのですが、こちらからは連絡をしない、直接会話をする時は長引かないようにする、礼儀知らずにならない程度に、好意も関心もない事が伝わるようにする。それが出来ないのなら、最低限、相手に好意を持っていると誤解されるような事は慎む・・・などなど、防衛策、自衛策を練っておいた方が良さそうです。

 困ったチャンたちに言いたい。

 失言、暴言をはばからないのなら、憎まれ役に徹する覚悟をして言いなさい!

 そして、自分が言ったことはしっかり覚えておきなさい。

 それが出来ないなら、口を慎め!
 直近のトラブルについて、自分は被害者だ、相手が意地悪だの何だのと思いを馳せ、悩む暇があるのなら、あなたを不快に落とし込んだ相手に、自分が何をして来たのか、よ〜く考えなさい!


  無信念暴言失言系の困ったチャンの多くは、自分は善人だと確信していると共に、人にしてもらうのが当たり前、自分は信奉されるべきと信じていますから、金品も労力も、ケチで出し惜しみする傾向が強いようですが、中には物品や、仕切る事で歓心を買おうとする手合いもいるようです。但し、もともとがしてもらいたい人ですから、過大な感謝や見返りを陰に陽に要求され、こんな事ならして貰わなければ、モノをもらわなければ良かったと後悔する事が大変に多いです。

 よほどの猛者でない限り、困ったチャンを上手に利用して、利だけ得るというのは難しいですから、接触を減らすに限りますし、出来るだけ貰わない、してもらわない事。

 この手の困ったチャンに対して、例えば、蛇とかゴキブリと言った苦手な生き物を冠して呼んでうっぷん晴らしをする方も多いと思いますが、それじゃ、蛇やゴキブリが可哀想よ〜。

 命名!

 あんたはエボラ×××だっ!


(×××にはジジィでもババァでも、社長でも、係長でも、コゾーでも、てきと〜に入れてください)

 エボラウィルスにも効用が認められたら、これ取り下げます(笑)。



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