東日本大震災から4年経ちました。今日は慰霊の日です。
あの日は二男の学校の卒業式の日で、浮かれた気分でTDLオフィシャルホテルを後にした後、首都高速道路が波打って、その後、東京港地下トンネルで足止め後、首都高を下りるように指示された後、大渋滞。その間、電話は全くつながらず、ラジオを聞きながら、何か大変な事態になっている事を知り、8時間余り経って帰宅後に見たテレビ画面に言葉を失くした事を思い出します。
首都圏に住んでいて、大震災の被害に遭われた方たちの事を忘れた事はありませんが、地震に対する備えがだんだん甘くなっている事に時々ハッとします。
未だ、行方不明の方もおられ、生活の立て直しが出来ていない方もたくさんいらっしゃいますが、そういう方々が希望を失わなずに過ごせるようにと祈っております。
こういう日なので、本当は「悼む人」の方がふさわしいのではないかというところでしたが、同行の友人は既に見ているという事で「くちびるに歌を」を見に横浜に行きました。
あの日は二男の学校の卒業式の日で、浮かれた気分でTDLオフィシャルホテルを後にした後、首都高速道路が波打って、その後、東京港地下トンネルで足止め後、首都高を下りるように指示された後、大渋滞。その間、電話は全くつながらず、ラジオを聞きながら、何か大変な事態になっている事を知り、8時間余り経って帰宅後に見たテレビ画面に言葉を失くした事を思い出します。
首都圏に住んでいて、大震災の被害に遭われた方たちの事を忘れた事はありませんが、地震に対する備えがだんだん甘くなっている事に時々ハッとします。
未だ、行方不明の方もおられ、生活の立て直しが出来ていない方もたくさんいらっしゃいますが、そういう方々が希望を失わなずに過ごせるようにと祈っております。
こういう日なので、本当は「悼む人」の方がふさわしいのではないかというところでしたが、同行の友人は既に見ているという事で「くちびるに歌を」を見に横浜に行きました。
この映画に描かれる子どもたちは素直で、一番心に闇を抱えているのはヒロインの元ピアニストにして、今、臨時の音楽教師として中学校に現れた、元卒業生の柏木先生なのです。
いくら海のきれいな、キリシタン信仰の根付いた島であろうと、もっと意地悪な子がいるんではないの?とか突っ込みを入れたいすれた自分もいますが、 川崎の少年殺人事件、その後の近所トラブルの事件など、日々殺伐としたニュースが流れる中、この設定はホッとします。
多分、現実社会では、物語の重要なカギを握るサトル君のような、猫背気味でおとなしくてひな〜っとした少年はからかわれたりするかと思いますが、ボーイソプラノがきれいという事で男子生徒たちからも一目置かれる存在になり、仲間として認めて貰えています。
プロのピアニストだったのに、悲劇的な出来事のために、いくら悲しくても、突如として演奏を放り投げた柏木先生はどうなんだ!というツッコみをしたくなりますが、その事がきっかけで投げやりでふてくされた態度で生徒たちと接していた柏木先生は、出産で休暇を取った中学時代の同級生の代わりに嫌々顧問を引き受けた合唱部の生徒たちが抱える事情を知り、また、ひたむきに県大会での優勝を目指そうと言う姿を見て、徐々に変わって行きます。
現代版二十四の瞳という評をどこかで見ましたが、柏木先生のふてくされっぷりが、穏やかな聖職者らしい大石先生と比べ、いかにも21世紀的と言えるかも知れません。
サトル君の兄、ケイスケ君は自閉症者ですが、ケイスケ君に対する周囲もあたたかいです。日本自閉症協会が監修しているようで、生徒側の中心人物、ナズナとケイスケのラスト近くの交流も、納得のエピソードです。
そもそも、子どもたちがまとまって合唱コンクールに向かって燃えるという点で、充分感動的なのですが、そこへ当初、柏木先生目当てで入部した男子を目の敵にしていたナズナの家庭の事情、サトルの家庭の事情などが描かれ、さらに柏木先生の悲しい過去、柏木先生を呼び寄せて、何とか心を開かせようとしていた松山先生の健康状態などが描かれて、ますます涙腺が緩みました。
生徒たちも成長しましたが、島を去る柏木先生には新しい道が開ける事でしょう。
今日も花粉症で、顔も頭の中身もぐちゃぐちゃしていましたが、たくさん涙が出て、少しは目がスッキリした気がします。
アンジェラ・アキさんの「手紙・拝啓十五の君へ」がメインテーマで、合唱コンクールのテーマ曲でもありますが、少年少女の未来への思い、成人している柏木先生の過去への振り返りと重なっています。思春期の子どもが合唱コンクールに参加するのを見ていたご経験のある方には、更に感慨深いものがある作品かも知れません。
もしかしたら、今日のこの日にもふさわしい作品だったと言えるのではと思いました。
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いくら海のきれいな、キリシタン信仰の根付いた島であろうと、もっと意地悪な子がいるんではないの?とか突っ込みを入れたいすれた自分もいますが、 川崎の少年殺人事件、その後の近所トラブルの事件など、日々殺伐としたニュースが流れる中、この設定はホッとします。
多分、現実社会では、物語の重要なカギを握るサトル君のような、猫背気味でおとなしくてひな〜っとした少年はからかわれたりするかと思いますが、ボーイソプラノがきれいという事で男子生徒たちからも一目置かれる存在になり、仲間として認めて貰えています。
プロのピアニストだったのに、悲劇的な出来事のために、いくら悲しくても、突如として演奏を放り投げた柏木先生はどうなんだ!というツッコみをしたくなりますが、その事がきっかけで投げやりでふてくされた態度で生徒たちと接していた柏木先生は、出産で休暇を取った中学時代の同級生の代わりに嫌々顧問を引き受けた合唱部の生徒たちが抱える事情を知り、また、ひたむきに県大会での優勝を目指そうと言う姿を見て、徐々に変わって行きます。
現代版二十四の瞳という評をどこかで見ましたが、柏木先生のふてくされっぷりが、穏やかな聖職者らしい大石先生と比べ、いかにも21世紀的と言えるかも知れません。
サトル君の兄、ケイスケ君は自閉症者ですが、ケイスケ君に対する周囲もあたたかいです。日本自閉症協会が監修しているようで、生徒側の中心人物、ナズナとケイスケのラスト近くの交流も、納得のエピソードです。
そもそも、子どもたちがまとまって合唱コンクールに向かって燃えるという点で、充分感動的なのですが、そこへ当初、柏木先生目当てで入部した男子を目の敵にしていたナズナの家庭の事情、サトルの家庭の事情などが描かれ、さらに柏木先生の悲しい過去、柏木先生を呼び寄せて、何とか心を開かせようとしていた松山先生の健康状態などが描かれて、ますます涙腺が緩みました。
生徒たちも成長しましたが、島を去る柏木先生には新しい道が開ける事でしょう。
今日も花粉症で、顔も頭の中身もぐちゃぐちゃしていましたが、たくさん涙が出て、少しは目がスッキリした気がします。
アンジェラ・アキさんの「手紙・拝啓十五の君へ」がメインテーマで、合唱コンクールのテーマ曲でもありますが、少年少女の未来への思い、成人している柏木先生の過去への振り返りと重なっています。思春期の子どもが合唱コンクールに参加するのを見ていたご経験のある方には、更に感慨深いものがある作品かも知れません。
もしかしたら、今日のこの日にもふさわしい作品だったと言えるのではと思いました。