気象情報で「強風に注意」と昨晩言っていたのは、当地に関してはハズレ。でも、どんよりとした空の色、見て居るだけで寒いです。

 そして、昨日は形成外科→接骨院→友人と会ってまんま夕方まで食べておしゃべりと、1日外出した分、今日はストーブつけて家に籠っておりまして、本当は掃除、片づけしなくちゃと思いつつ、家計簿付けに確定申告の準備、生協共済の通院給付についての問い合わせなどから、生協の商品取りこみからインターネット注文まで、雑用をごちゃりとしておりました。

 ふは〜、家の中も頭の中もごっちゃごちゃ!

 今朝のあさイチで、ミニマリストになるためにネットオークションに出す衣類をトランクルームに納めている、大都市住まいならではのご本人もお子ちゃまもお部屋もおされな奥様が映っていましたが・・・
 我が暮らしはそういうのと程遠く、紙類が折り重なり、布類が固まり・・・ふっは〜です。

 あまりに身も心も環境もごっちゃごちゃなので、清新が欲しくなります。

 清新→ [名・形動]新鮮でいきいきしていること。また、そのさま。「―の気」「―な作風」

出典:デジタル大辞泉

・・・と安易に検索機能で引っ張り出すところからして、清新ではございませんな。(^^ゞ

 清新の対義語は何だろうかと思うのですが、本当のところはともかくとして、今、私が思うに、惰性!


 毎日同じことを繰り返す。安定しているとも言えますが、私の場合は、新しい息吹はなく、いささか疲弊気味。

  しかし、よく言えば同じことを繰り返すと言えば、地道にコツコツと積み上げることでもあります。こうなると、もう惰性とは言わないのでしょうけれど、例えば修行中の僧侶などは同じことを繰り返しますね。スポーツ選手も基礎トレーニングが欠かせませんし、大概の何かをなす方たちは辛抱強く同じことを繰り返して、進歩して、花開くのであります。

 禅寺の風情は、究極のミニマリズムであり、一方で修行僧は同じこと繰り返す人でもあります。が、ミニマムな空間だからこそ、一輪の花が映え、同じことを繰り返す地道な日々に、はっとする程の清新さがあふれるのでありましょう。


 清新さに欠ける我が暮らし。

 ごちゃごちゃとモノが多く、要するに欲張り過ぎているのが最大の理由ですかね。

 花が一輪やそこいらでは、混乱の中に埋もれてしまいます。いや、花束をおいたら、なおさら色の洪水でうるさくなるだけかも。💦

 我が家としては、モノの少ないベランダで咲く花がパッと目につくのも、ごちゃごちゃが清新さを遠ざけているという証拠になります。


 日々の暮らしは惰性とも見える、コツコツと地味な積み重ねでなり立っている部分は大きいです。家事然り。特に家計簿記帳などは、あまり創造性や工夫を働かせる余地もなく、溜めこまない、さっさとやる!に尽きます。お料理上手な方だったら、創造性の塊となるはずの料理も、我が家では惰性(^^ゞ。洗濯や掃除には、多少は工夫しますが、それでいいやとなったら、大方惰性。

 その惰性の塊の中で清新さをとなったら、やっぱりモノを減らして、花を飾れば、ぱっと目に入り、ああいいなぁと思える空間を作ることなんでしょうね。


 毎年、毎度同じことを言っておりますが・・・気候が良くなったら、もう少し片づけるぞ〜! 風通し良くするぞ〜〜! そして清新を呼び込むのだ!

 こう書いておいて、多分、春になったら、うきうきして、花見だ!遠足だ!とまたせっせと外に出てしまって、家の中を放置するのかなぁ(去年の夏には涼しくなったらと言っていたかと (-_-)/~~~ピシー!ピシー!<ぢぶん)。

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