直近のNHK「歴史秘話ヒストリア」で二・二六事件で、反乱軍の襲撃を受け乍ら、警護にあたる警察官や義弟の決死の守りと、使用人や秘書らの機転により、奇跡的に難を逃れた首相の逸話を放映していましたが、今年で二・二六事件から80年経ったのですね。

 もちろん、私は生まれておりませんで、学校の授業では、五・一五事件と二・二六事件を経て、日本の軍国主義が台頭し、戦争の悲劇が起こったという、重大なターニングポイントとして説明を受けていました。

 しかし、大概の場合、古代〜江戸時代位までで大方の時間を食ってしまって、明治維新以降ははなはだ駆け足となるのが歴史の授業の定番でして、後は自分で見聞きするしかなく、実態は何が何だかというのも、本当のところでした。

 そんな中、二・二六事件は大正末期と昭和一桁生まれの両親にとって、恐らくは非常にインパクトのある人生最初の事件だったのではないでしょうか?

 ちょうど長男にとって、最初に強いインパクトを受けた事件がオウム真理教が起こした一連の事件だったように。
  母はまだ小学生にもなっていない位の年齢な上、都内在住ではなかったかと思うので、恐らくは、今よりははるかに少ない情報量、ラジオと新聞でもたらされた情報や大人たちからの伝聞で怖い事件と言う印象を抱いたようですが、父は東京で中学生でした。

  父亡き今となってはこれ以上詳しくは分からないのですが、雪の降りしきる日だったのは有名な話ですね。高橋是清蔵相をはじめとして、何人かの方が亡くなられ、「置かれた場所で咲きなさい」等のベストセラーを書かれた渡辺和子さんも、この時にお父様が目前で射殺されるというむごい経験をされました。




 父の中学校への通学経路に反乱軍が集結していた赤坂見附の界隈があったそうですが、学校へ通うと言うと、すんなりと通してもらえ、拍子抜けするほどだったようです。緊迫感がなく、恐らくは下級兵士は何がどうしているのか分かっていない気配を感じたそうですが、今日の二・二六事件関係の報道でも、当時なりたての新兵だった方が、やっぱり何がなんだかわからぬまま反乱軍に組み込まれたと語っておられました。

 歴史秘話ヒストリアでも、反乱軍とされた兵たちは、暗殺した(と思いこんだ)首相の秘書の出入りを許したり、弔問客を迎えることを許したなど、自分たちは暴徒ではない、筋の通ったクーデターだと思いこんでいたが故の、余裕があったというか、礼節をわきまえていた面があったようです(だからこそ、奇跡の脱出ができてしまったので、別の見方をすればゆるみというか油断とも言えますが)。

  赤坂見附にかつてあったホテル・ニュー・ジャパン。父はあのあたりに反乱軍がいたと申しておりましたが、そのニュー・ジャパンも大火災という不祥事をおこし、かなり長い間無残な姿をさらしたのちに取り壊されて、今はあのあたりには外資系保険会社の看板をしょったビルが建っております。

 ホテル・ニュー・ジャパンの火災発生の時、通勤時に黒煙を噴き上げるホテルに向かって、外堀通りの数多くのマンホールから、まるで大蛇のようにホースが出て来て、放水作業を行っていたこと、見た事もない程多くの消防車が道路に集結しており、車両通行止めになっていたのを思い出します。

 が、通勤で通りますというと通してもらえました。

 同じ場所に絡む軍事クーデターと大惨事、そこを父と娘が時代をたがえて、通り抜けたことに、奇縁を感じます。

  まだ覚えている方がご存命のうちに、二・二六事件の起こしたもの、その後の悲劇などについて、とくと語っていただいて、同じ轍は踏まないようにする警鐘とすべく、多方面で取り上げてほしいです。

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